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Raed in the Japanese Language; originally Raed in the Middle
Saturday, May 01, 2004
 
2004年4月30日(金)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/
Friday, April 30, 2004

4月,イラクで死亡する米兵の1日あたりの平均がだいたい5人になりました。

Posted by: Raed Jarrar / 9:59 PM


【業務連絡】以下はとりあえず訳し下したもので,日本語訳としてはびみょーかもしれません(とりわけ代名詞周り)。後で査読します。ご容赦ください。

2004年4月30日(金)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/
Friday, April 30, 2004

ファルージャで何が起きているのか?

というわけで・・・
ブッシュとブッシュ政権にとっては大敗北,政治的にも軍事的にも大敗北。
ってことでおめでとう!
祝・イラクの軍事的勝利。
:*)
おかしいし,予想だにしてなかった,でしょ?
原始的な武器しか持ってないイラク人戦士たち数百人が,こんな軍事的大勝利をおさめるなんて,どうやったら考えられた?
エイブラムズ(M1戦車)やアパッチヘリが,イラク人の小人数の集団と何週間か戦ったあとに,敗走するなんて,どうやったら想像できた?
そのイラク人たちは,自分たちの国家/民族/国民【←nationalです】のプライドと威厳と名誉を護るために死ぬ覚悟をしていた。

何週間も爆撃し殺戮し,アメリカ軍は今日,ファルージャから撤退した。そして地元の人々に,望み通りのものを与え,「バース党」で「サダム信奉者」で「前政権」のリーダーを与えた。ジャシム・モハメド・サレー(Jassim Mohammed Saleh)少将だ。

町はイラク人による新しい軍(a new Iraqi force)の統制下に置かれる。その軍を指揮するのが,サダム・フセイン時代の将官のひとり,っていうわけだ。それが彼らの軍事的リーダー。 :*)

神様!
僕は頭がおかしくなりかけてきました。米国の「外交政策」,もうどんだけアホかバカかと。ブッシュ政権,もうどんだけ脳みそカラッポかと。僕は決して暴力や軍事的解決を弁護してない・・・でしょ?
んでは,今,誰がイラクのレジスタンスを弁護し支持してるのかっていうと・・・
それではご紹介いたします・・・ミスター・・・ブッシュたん!【←原語:Small Shrub,shurub = bush】

僕は,ファルージャでこんなことが起きるのを見るとは思ってもいなかったし,軍事的レジスタンスがファルージャで奏効するとも思ってなかった。けれどブッシュは,彼の政権がイラク人の声を聞くための,新しい,そして唯一の方法を,宣言したんだ・・・
それは・・・爆発なんだ!

米軍の駐留に対する方法として,イラクの軍事的レジスタンスを本当にサポートしている人間は,ブッシュだけだ。そして,(町にできたブッシュ巨大墓地に埋葬された何百人というイラク人を殺したあとでの)ファルージャでの軍事的・政治的敗北は,何十万というイラク人に,彼らの問題を解決する答えを与えたんだ!
戦え・・・アメリカの兵士をもっと殺せ,そうすれば翌日には奴らは撤退する。

なんと賢明な!
なんと頭のよい!
僕に何が言える・・・他人に地獄に行けなんて言うな。自分でそいつを地獄に送ることができるなら別だけど。

あなたは,イラク人がファルージャで戦っている理由を知りたいですか?
彼らが「サダム支持者」だと本気で思ってる人なんか,いるんでしょうか?

その理由を説明しましょう・・・
しばらくお付き合いください。次にお見せするのは,アブ・グライブ刑務所で撮影されたドキュメンタリーです。【←リンク先,ramファイルです。ヴィデオ・プレイヤーが起動します。】アブ・グライブには千人単位でイラク人捕えられ,拷問され,米軍の女性兵士から性的な辱めを受けているのです。
これらの写真を見てください,お願いします。

イラク革命が始まるには,これらの写真で十分です。

ああ,なんて賢いブッシュ!
彼の聡明なことといったら!

GOブッシュ
GO GO GO

イラクの囚人たちのために,もっと自由を輸出して

ロードマップ?
どーでもいいって
ナジャフを攻撃せよ
レッツ・ロックンロールだぜ

新しい戦争を開始して,僕たちにブッシュのアメリカをもっと送ればいい・・・
もっともっと民主主義
もっともっとウィスキー
もっともっとセクシー!!


万歳(HEIL)! オペレーション:やっといて逃げる(Hit and Run)だ。
ウァ~~~~~~~~~~~~オ

Posted by: Raed Jarrar / 2:51 PM, Friday, April 30, 2004

*translated by nofrills 30 April 2004

 
2004年4月28日(水)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/
Wednesday, April 28, 2004

今日は4月28日。サダムの誕生日。

僕の半友達(僕は彼のことは半分だけ好きだ)のジェフリーは,僕の知っている数少ないアンチ・イラク,アンチ・アラブの人のひとりだ。彼がメールで,バグダッド陥落の日にサダムが何をしていたかを書いてきた。僕がううむと思ってしまうのは,サダムのことを好きか嫌いかには関係なく,サダムはイラクのシンボルだったということだ。4月9日にサダムは自分で自分の人生を終わらせるべきだった,マジでそう思うよ。何十年か前にヒトラーがそうしたでしょ。

笑える。でも惨めだね。
:*)

勇敢なるサラディンよ! アラブの戦士よ! ウンマ・イスラーミア【訳注】の偉大なるリーダーよ!
(ねぇ,彼がイラクの国旗に「神は偉大なり」って書いたのを見た? きっとすごく信仰心に篤い人なんだね!)
身を潜め,後部座席のへりから覗き,視界に入るはカラス【←米軍の階級の俗語】の脚,其は突如ぬうと伸びる。
勇敢なるサラディン! アラブの戦士よ!
偽装蛸壺。【←狙撃兵が潜むために作るものだそうです】
勇敢なるサラディン! アラブの戦士よ!
偽装蛸壺。1発も放たれず。
勇敢なるサラディン! ギルガメッシュのエピックは復活せり!
パンツ,腐りかけの食い物にキャンディ・バーが,蛸壺の隣の粗末な小屋の周りに散乱せり。


サダムは自殺すべきだった。
ほんと,自害すべきだったんだ・・・。

Posted by: Raed Jarrar / 10:28 PM

*translated by nofrills 01 May 2004

 
2004年4月27日(火)の記事
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Tuesday, April 27, 2004

神様!
パウエルが15分もかけてアル=ジャジーラを批判した
で,アル=ジャジーラはほんの数分かけて,それをおちょくった。 :*)
パウエルはこれとは別に15分かけて,イラク「政府」(?)への権限移譲について,新説を高論卓説・・・。
ってことはですね・・・こういう理解でよろしいんでしょーか・・・つまり,CPAは次のイラク政府にすべての権限を移譲するつもりはない,と! 米国政府は「いくつかの」権限を保有したままでいるつもりである,と。
さて,ここで僕は笑うべきでしょうか,それとも泣くべき?
っていうかさ・・・パウエルはジョークかましてる? 酔っ払ってる? ぶっ飛んでる?
あああああああ・・・
:*)

ま,そういうことなんスけど・・・
もうひとつ,ジョークいっときます?

シリアとヨルダンでの爆発,これも今週のジョークに入ってますね。僕は「クラブ陰謀論」のメンバーではないんですけど,公式発表を真に受ける人はあんまりいなかったでしょうね。僕はこれは単なる政治的かけひきだと思います。ヨルダン政府が僕たちに見せたのは,敗け犬たちのどうしようもないインタビュー。ヨルダン国営テレビは,「邪悪な」奴らがアメリカ大使館と情報局を化学兵器で攻撃したかったんだと言い聞かせようとしてます。8万人が死んだかもしれないとも言ってます。アンマンのアメリカ大使館をご存知ない方のために付け加えますが,あれは・・・何て言うか・・・ご近所・・・壁とフェンスと戦車とたくさんの兵士と警官に取り囲まれてまして。あれを攻撃するのは軍隊じゃなければ無理です。負け犬どもは車を盗む計画も満足にできなさそうでしたが。唯一おもしろかったのは,テロリストの「リーダー」がとんでもない秘密を語ったことですね・・・彼の出身は・・・シリア

あひゃひゃひゃ。そーゆーことっすか。

ヨルダン政府は,予想外なことに,2週間前に爆破された車を2台発見していて,それらは輸入車で,これもまた・・・シリアから来た!
キタ―――――――――!

でもこの話にはだれも興味を示さなかったらしく,今回のお話では化学兵器などなどが加わってます。

ヨルダンとシリアの関係はあまりよくありません。現在の国王と大統領の父親の時代からそうです。例の爆発の話は,ブッシュ政権を喜ばせようとする安っぽいお膳立てにすぎないように僕は思います。これがあれば,ブッシュ政権は,シリア政権がいかに「悪い」か,いかに「邪悪」であるかを世界に信じさせる理由ができる,ってわけで・・・

お願いだ!お願いだから,奴らを爆撃してください,奴らはテロリズムと大量破壊兵器を世界に広げています。

しかしシリアからの返答にはほんの数日もかからなかった・・・どういう返答かっていうと・・・ええと・・・私たちもテロリストから攻撃されてます・・・だって,マジかよ・・・私たちもあれらの悪いテロリストに影響を及ぼされています,みなさんと同じくらいに。
あったまいー・・・と思わない?

シリアの爆発は,空き家になっている建物の正面で起きた。ずっと前はそこは国連事務所だった。国連だとか大使館(どの国のでも)を攻撃したいと思えば,朝飯前だったんじゃないのかなあ・・・

Posted by: Raed Jarrar / 10:55 PM

*translated by nofrills 01 May 2004

 
2004年4月26日(月)の記事
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Monday, April 26, 2004

本日の,アヤシイうわさ

大量破壊兵器査察官を伴った米軍兵士が,薬品店に押し入ろうとしたときに,爆発があった。

大量破壊兵器査察官だって?!
自由,民主主義,自由,民主主義,大量破壊兵器,ワァ~~~~~~~~ォ

Posted by: Raed Jarrar / 11:52 PM

*translated by nofrills 30 April 2004

 
2004年4月26日(月)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/
Monday, April 26, 2004

我らの偉大なる統治評議会(GC)の新しいすばらしい業績のこと,みんな知ってるよね。
僕たちの青白い新しい旗!!【訳注
うわぁ~~~~~~~~~~お
それとそれと・・・この新しい旗はおもしろいコラージュになってるんだよ。ムスリムの印【新月】と,クルド人の印と,それと2本の川。あと僕の笑顔も。 :*)

GCはただいま絶好調(CPAと協力して),次のイラク政府(例の6月30日のアレね)を構築する新提案を続々発表中。国連がはっきりした提案をする前にってね。ブッシュ政権は国連が何を言おうがあんまり嬉しくないようですね,今日は彼らの子犬ちゃんの綱を外しちゃったくらいです。

というわけで・・・
Syasa (政治)のお話に戻りましょう。

ファルージャとナジャフの状況は依然としてまったくよくなっていませんが,本当の危機は僕はナジャフだと思っています。ファルージャは比較すれば小さな紛争です。

アル=サドルとSCIRIの間の深い不和は,ある意味歴史的なものです。サドル側,ハキム側,どちらも前の世代は,仲がよかったとはとても言えない。モハメド・サディク・アル=サドル(90年代終わりに暗殺されたサドルで,ムクタダの父親)は当時のSCIRIの全般的方針を批判していたし,アラトラ・アル=ハキム(昨年暗殺されたハキムで,今のGC評議員のアル=ハキムの兄)がアル=サドル(父)を殺すのに一役買ったとかそういう噂が水面下ではあった。今回の戦争後に米国政府がバドル民兵組織(SCIRIの民兵組織)がイランから戻ってくることを承認したとき,シーア派地域で小さな紛争が始まった。それがマハディ軍(アル=サドルの民兵組織)の設立の理由のひとつなんだろう。そのころ,イラクにあった民兵組織はバドルとFIF(チャラビの民兵組織)だけで,両方とも米軍の承認を受け,米軍にバックアップされていた。

アル=サドルとSCIRIの2つが,現在イラク南部を支配するメインのシーア派勢力だ。しかしアル=サドル派とその民兵組織の方がずっと人気がある。サドルの本当の本拠地はアマラ(バスラの北)なんだけど,アマラではSCIRIが活動している証拠を1つでも見つけられる人はいない。周りと一切つながりのない小さなオフィスがあって,お祈りのためのモスクはあるけれど,通常僕たちがSCIRIの拠点のことを言えば,それはナジャフのことを指す。ナジャフはシーア派の聖地だ。イマーム・アリが埋葬されている場所だ。(カルバラは2番目の聖地で,アフ=フセインとアル=アバスが埋葬されている。)アル=サドルはアル=クファを本拠地として押さえたが,クファはナジャフに隣接した小さな町だ。クファの最大のモスクは,サドルのお父さんが殺害される前に金曜礼拝を行っていたところで,やはり重要なイスラームのシンボルだ。僕がここで言おうとしているのは,アル=サドルは,SCIRIの中心地であっても活動していてしかも力があるということだ。

この前の金曜礼拝のスピーチ(これは最重要の政治的な指標だ)では,アル=サドルのやり方が初めて公式の場で批判された。SCIRIのスポークスマンが間接的に,新たにシーア派とシーア派の紛争が始まったことを宣言したのだ。SCIRIの立場からは,僕が思うに,反占領運動は何でも批判することにしたんだろう。というのは,SCIRIはGCのメイン・プレイヤーなんだから。

1年前に僕が言っていたことがある。今でもそれを繰り返している・・・イラクでの「本当の」戦争はまだ始まっていない,って。米国政府はアル=サドルのような人物がどんなことをしうるかをしっかり見極めていないと思うし,シーア派同士の争いが始まれば爆発の規模が大きくなるだけだということもわかってないように思う。

ではでは,僕のロードマップの話に戻りましょう。
:*)

イラク・ロードマップ:第3章:全国復興キャンペーン

イラクのインフラにとっては,今回の戦争よりも1991年の戦争の方がずっと破壊的だった。発電所は破壊され,橋や幹線道路などの重要な設備も破壊された。が,全国復興キャンペーンは大成功で,全国がほどなく(数ヶ月で)復興した。経済制裁など,経済的には厳しい状態になったにもかかわらず。あの復興キャンペーンのおかげでイラクの政府はいろいろと経験をつんで,再建作業の中で最適な方法を考えることでイラクのエンジニアや技術者たちの能力は向上した。

イラクにはもう外国企業が来る必要はない。外国企業でなければ戦後復興ができないということはない。米国企業はできる限り早急にイラクから撤退すべきだ。そしてイラク人が,自分たちの省庁や行政に基づいて,自国再建の権利を取り戻すべきだ。そうすれば失業している何十万何百万のイラク人の雇用が確保されるし(失業者は反占領戦士になっているだろう),復興にかかる費用は今かかっている費用の25%にまで減るだろう。イラクの労働市場は外国に比べてとても安いし,イラクの復興の方法は地元で手に入る材料に基づいているのだから。
全国復興キャンペーン(1年前に始まっていて当然だった)には,単に物理的に建物を建てるとかサービスを復興させるといったこと以外にもいろいろと含めなければならない――イラクのコミュニティ,市民社会自身を再建するところまで。これは,極小のプロジェクトをとおして近隣を再建することに地域コミュニティを参加させることで始まる。僕はかつて,南部で仕事をするイラク人の草の根組織のディレクターをしていた。3ヶ月の間に150のプロジェクトを手掛けたが,それには地元のコミュニティーが欠かせなかった。人々は互いを率先して助け合い,近隣で仕事をした。

公共サービスを復旧させること(例えば電気【←デッドリンクになっちゃってますが】とか・・・戦争が終結してから2,3週間で復旧されるはずだったのに)は,人々が安定した生活を送れるようにするために,本当に重要なものだ。それに,公共サービスがあれば,国をコントロールしている権威があるんだということが実感できる。

Posted by: Raed Jarrar / 5:23 PM

訳注:イラク新国旗
Raedさんの記事に出てくる「新国旗」ってのはBBCのこの記事にある旗のことなんですが,こいつが「あまりにイスラエルの旗に似ている」と非難が相次いだ結果,2日後には「変更:新国旗」となりました。んが・・・⇒これです(BBC記事)。Spot the difference!って感じ。っていうかバランスが変だと私は思うんですが。

*translated by nofrills 30 April 2004

Friday, April 30, 2004
 
【業務連絡】昨日(4月30日)ここに30日のRaed in the Middle記事を急いで訳出しましたが,本日(5月1日)までに抜かしていた分のエントリを日本語化し終わったので,昨日ここに置いておいたものは消去します。いろいろと錯綜していてすみません。

 
割りこみ記事

Raedさんと交流のある英国人女性,ジョー・ワイルディングさんのレポートを割りこませます。

Circus 2 Iraqのジョー・ワイルディングさん(Ms Jo Wilding:個人サイト)の手記より。
原文

4月21日
難民たち


「新婚旅行なのよ。」バグダッド,アル・アメリヤ地区,24番のシェルターの混雑した通路でヒーバ(Heba)は言う。結婚してまだ1ヶ月足らずの彼女は,結婚して増えた家族たちと一緒にファルージャから避難してきた。「始終爆弾が落ちてきてたんです。眠ることもできなかった。眠りについたとしても,悪夢で目が覚めてしまう。1部屋に家族の全員が集まって,待っているだけでした。」

「ファルージャにいるよりはここの方がまし。爆弾の音は聞こえるけれど,遠くに離れたところだし,それにそんなにたくさんじゃない。でもここには水がないんです。水を飲むにも外に出なければならないし,料理も水浴もお洗濯も外に出てやります。それと氷を買っています。冷蔵庫も扇風機もエアコンもないし,発電機もありません。調理用コンロは全員でひとつだけ。トイレに行くにも庭に出るんですけど,これは夜は困ります。買った氷が原因でみんな下痢してます。」

「結婚したばかりの新妻なのに,着る物は何も持ってこられなかった。」ここに多少でもプライバシーなんてものがあるのだろうか。18家族88人が,ドアから端っこの台所までの細くて長い通路にマットレスを敷いて寝ている。台所からはお茶の湯気と甘いセサミ・ビスケットの香りが漂ってくる。ヒーバのおじさんを偲ぶのだ。

ヒーバのおじさんは7日前に亡くなった。彼らがバグダッドに到着した翌日のことだった。ヒーバのお父さんのラビーアは,兄は悲しみのあまり死んだのだと語る。家族全員の身分証の類はすべてファルージャにあるので,一家はおじさんの遺体を病院から引き取ることができなかった。ラビーアは何人かの友人――その病院で勤務している医師たちに会い,それで1日経ってから遺体を引き取ることができたのである。

昨日,ラビーアは息子のうち2人を家族とともどもファルージャに帰していた。戻った息子たちは夜の7時に電話をしてきて,ラビーアに戻ろうとしてはいけないと告げた。状況は前よりもさらに悪くなっている。ファルージャを出ようとしたが,道路はすべて封鎖されている。今日は甥が家族を連れてファルージャに戻ろうとしたが,やはり道路が全部封鎖されていた。「ファルージャにいる人たちは全員,監獄にいるというわけだ。」

彼らの話は,ほかの何千という人々の話と同じだ。イラク赤新月社の事務総長,ファリス・モハメドが言うには,最近の戦闘で,ファルージャの30万人の住民のうちおよそ65%が家を出ているとのことだ。これら20万人の住むところを失った人々のほとんどが,バグダッドの遠縁の家に起居しているか,あるいは,使っていない場所があるからと赤の他人が提供してくれる場所に避難している。およそ200家族が家のない状態である。

「爆弾が落ちてくるから町を出たんですよ」とラビーアは語る。「子どもたちは怖がってしまって,夜通し泣き続けるんです。4月9日に出ました。親戚の多くが車を持っているのですが,ガソリンがなかなか入手できなくて。全部で18家族が一緒になって,みな検問所で待ちました。かんかん照りの中,アメリカ人は私たちを何時間も待たせ,私たちはすっかりくたびれ果ててしまいました。子どもたちは腹を空かせて泣いていました。それからアメリカ人は,私たちに別の道を進めと言い,私たちに長い迂回路を取らせました。」

「私たちはバラバラの時間に到着しました。検問所で車の中で一晩過ごして翌朝バグダッドに到着した者もいます。1台の車につき,若い男は1人しか許可されません。運転手としてです。それも年取った男がいない場合に限ってです。家族の中の若い男を通すことができなかった家族もあります。そういう場合は川沿いに来なければなりませんでした。ファルージャにはガソリンもなく水もなく発電機もなく病院もなく,それでは家族は生きていけません。」

ラビーアの末息子のムスタファは11歳。毎晩,爆弾が落ちてくると泣いて目を覚ます。ミルークは,うちの息子だけではないんです,と言う。子どもたちはみんな怖い夢を見る。彼女の義理の兄の息子は,眠りながら家に帰りたいよと言って歩きまわるようになった。ミルークの娘のうちの2人,ザイナーブとマーハは,学校を辞めることにした。マーハは血圧に問題が出てきて,衛生状態のよくない水が原因で細菌性の胃炎を起こしている。

ファルージャから,ハディルという名前の看護師が彼らを訪ねてきた。必要な薬のリストを彼らに私,妊娠している女性に数本の注射を打ち,胃潰瘍の薬を置いていった。彼(ハディル)は薬局を経営しているが,在庫にあった薬品はすべて寄付してしまっている。ラビーアは赤新月社に助けを要請したが,まだ何も得られていない。彼は自腹を切ってトイレを作ったが,お金はもうあまり残っていない。

ミルークの姉のサブリーヤは,シュアラ地区で障害を持った人々を教えている。彼女は打ち続く戦争のせいで結婚したことがない。「戦争は青春を食い尽くします。大学時代に調査をしました,男子と女子を対象に。当時は女子半数に男子半数でしたが,今では多分,女子の方が男子の10倍になっているでしょう。」

「説明できません。希望も何もないという気持ちです。将来がどうなるか,わかりません。人生は変わるものだと思っていました。状況は落ちつくだろう,この戦争がイラクにとって最後の戦争になるだろうって。彼らは平和と人権をもたらすために来たと言います。しかし今では私たちは,それは本当ではないとわかってきています。彼らはイラクのことを理解していない。だから紛争につながるような問題を起こすのです。再建すると言っていましたが,破壊しているのです。きれいな水と電気があれば十分なのに。」

どこに行こうとも同じ話を聞く。女性たちは抑鬱状態,子どもたちはストレスでぼろぼろ,人々はファルージャに戻ろうとしては道路が封鎖されていると知る。まだファルージャにいる人々は,出ようとして道路が封鎖されていると知る。

ファルージャから逃げてきた家族のために新しく作られたイラク赤新月社のキャンプ。白いテントのうちのひとつに,男性が2人,女性が2人,子どもが8人が座っている。40家族が登録しているが,まだこの2家族しかここにはいない。衛生設備がまったくないからだ。キャンプの責任者のカシム・レフタハによれば,ユニセフが衛生設備を設置すると約束していたのに,まだ姿を見せていないしどうすることもできていないという。その間,彼らはサッカー場(このキャンプはサッカー場にある)の隣の学校のトイレを使う許可を得ている。

空襲で近隣の人々が何人か死んだ後で,類縁の人たち58人が逃れてきた。「親戚が2人死にました。私のこの手で埋葬しました」とアディルは語る。「病院へは行くことができないので,たとえ死ななくても怪我をすれば家で手当てをしますが,薬がないので死んでしまいます。」

「救急車が来ようとしても,アメリカ人が救急車を撃とうとします。アメリカ人がひとりの男の人を撃つのを私は見ました。その人は朝から晩まで撃たれた場所に倒れていましたが,誰も助けることができなかった。アメリカ人は救急車を撃つんです。それも見えました。アメリカ人は建物の屋上にいるんです。」

「何度もそういうことがありました。私たちが救急車を目にするときはいつも,アメリカ人が狙撃しました。アメリカ人はミナレット(モスクの尖塔)まで占拠しています。マーケットに向かう女の人と子どもたちの家族連れを撃って殺しました。25人の家族が,アメリカ人に家を爆撃されて,死にました。戦闘機が彼らの家をめがけてロケット弾を放つのを,私たちは見ました。」

彼らの家はシャヒッド地区にあったが,その地区は爆撃が激しかった。政府の病院が同じ地区にあり,報道されているようにそれは破壊されまなかったが,米軍によって閉鎖されました。彼らが去ると激しい爆撃があり,町に入ってくる援助物資は配布できなかった。彼らが車で去るとき,彼らはロケット砲が発射されているのを見た。

子どもたちはぐったりしていた。13歳のサラは,何度も繰り返しはにかんだ微笑を私に向けてくれたが,大人たちがいなくなってしまうと私のそばにきて,なぜなの,と訊くのだ。「どうしてアメリカ人は私たちの家を壊すの? ここはアメリカ人の国じゃないでしょ。どうしてアメリカ人が私たちの町に入ってくるの? 彼らのせいで私たちは家を失った。そしてあちこちの家を訪ねて回って,助けてくださいと頼まなければならない。爆撃は朝昼晩と続いて,みんな,バグダッドから車を出して,避難しなければならない人たちを乗せてくる。」サラの弟のハディルはまだたったの4歳。しかし路上でおもちゃの銃で遊んでいたら米兵が彼の家に踏み込んで武器を捜しまわったので,すでにアメリカ人を嫌っている。サラは怒りに満ちている。

子どもたちは,誰といわず彼といわず,微笑ませるのに時間がかかる。与えられた支援物資を見にいくためにほかの人々が席を外すと,私は子どもたちにピエロを演じて見せる。【訳注:ジョー・ワイルディングさんはサーカスでピエロをやっている。】シャボン玉を吹き,風船をふくらまして動物を作る。ハディルとハムーディは数分間,目をまんまるに開けて座っているが,少しずつにじりよってくる。ハムーディが最初に飛び出す。顔に石鹸を塗りたくると顔が変わる。大人たちが戻ってきて,子どもたちが光り輝くシャボン玉がぷかぷかと浮かぶ真ん中で踊っているのを見ると,大人たちの顔も緩み,微笑み始める。

「道路封鎖が解除されたら,私たちは戻ります」と,サラの母親のイーマンは言う。「ここでの暮らしはあんまりです。赤新月社は親切にしてくれますが,仕事も何もない,男でさえ仕事がないんですもの。」

赤新月社は,4月9日からずっとファルージャに食糧と医薬品を送っている。しかし,何百人という人々が避難してきたのでキャンプを開くことにした。「ファルージャから南に7キロいったナミヤ地区にキャンプを開こうと決めたのですが,設置作業のために私たちが現場に到着したときにはすでにその一帯は戦闘地域になっていました。私たちは10キロ下がり,ファルージャから南へ17キロ行ったところに移動したのですが,そこにも戦闘が広がってきました。私たちが戻ると,テントのいくつかは既に燃やされていたんですよ」とファリス・モハメドは説明する。

「道路に近い場所を選びたかったのですが,問題は,このような状況では蜂起している人々が軍隊が通ると撃ち,軍隊はそれに対して反撃をするわけで,ですから私たちはキャンプをバグダッドに,ファルージャとの境から遠く離れたバグダッドに設置することにしたのです。」

しかし彼は,赤新月社の救急車が武器や武装蜂起集団を運ぶのに利用されているという(米軍の)言い分はうそであると言い切る。「私たちの救急車のうち,所在がわからなくなっているものは1台もなく,私たちは救急車を武器を運ぶために使ってはいない。紛争の間,イラクの組織では私たちにしかファルージャに出入りする許可が与えられていないんです。ドバイからの支援物資が到着した水曜日まではどちらがわにも一切問題はなかった。私たちは支援物資をすぐにファルージャに送ったのだが,アメリカ人がそれらを送り返してきた。すべての車両は,24時間前に特別許可を受けていなければならないと言ってね。」

家に着くと,ライード(Raed)が,ファルージャに行ってから始めてジョーの頬に色が戻ったね,と言った。「子どもたちと遊んできたんでしょ」と彼は言う。その通り。子どもと遊ぶことはほんとに効果があった。暴力が,すべてのものを飲みこみはじめている。今朝ここを出るときに,カール(Karlu)たち何人かの子どもたちが,路上で「人質ごっこ」をして遊んでいた。アーメッドがカールの目を手で目隠しして,もう一方の手でカールの首を切る仕草をしていた。

そしてニュースでは,ファルージャでの戦闘は続いていると言っている。

Posted by: Jo / 8:35 AM
Thursday, April 22, 2004


4月26日
難民たち(2)


ラビーアは声を低くして,女性のうち2人の頭がおかしくなったと私たちに告げた。彼女たちは始終話しっぱなしで,部屋をまったく片付けない。彼女たちは,夫を失った女が世帯主となっている家族の母親である。新たに増えたファルージャからの難民たちだ。ファウージアの目は話しかける相手がいると明るくなる。アバーヤの下は白髪で歯も抜けた彼女の顔は,苦難の人生を物語る皺が深く刻まれている。ファウージアはアラビア語でアンナに楽しそうに話しかける。アンナにはアラビア語はわからないのに。

ファウージアの義理の娘のイハラス(Ikhlas)はクルド人で,幼い娘のジュワナがいる。緊張でひび割れた声音で,彼女は,姉のシーナ(Sena)の夫が2年前に死んだので,今は自分の夫が家族全員の面倒を見ているのだと語る。仕事もなく,この地域の人がファルージャから逃げてきた家族のためにと空けてくれた家の一室に身を寄せ合っている。家族の残りのメンバーは近くの爆弾シェルターにいる。子ども8人,女性6人に男性1人だが,台所はない。シーナもまた泣き始めた。彼女は4人の子どもを連れている。5番目の子どもはファルージャでおじの家にいる。

家族の末娘のベイダは18歳。みなと一緒にファルージャを出てきた。もうひとりの姉がファルージャにいる。その姉の夫がわずか33歳で心臓病のために死亡してまだ2,3日なのだという。ラビーアは最後に訪ねたときの彼の様子を語る。道路が封鎖されていたので,ユーフラテスを船で渡って病院へ連れて行かねばならなかった。彼は1日入院して死んだ。彼の母親は病気で介護が必要だ。父親もまた病気で,母親の介護はできない。

シーナの娘のシェイマは,ショックで青ざめた顔をしてじっと座っている。口もきかない,微笑みもしない。14歳で完全に絶望している。彼女は学校を辞めてしまった。学校に意味があるとは思えない。将来に向けて備えることに希望を見出すエネルギーなど,ない。

おちびさんたちはまだ,シャボン玉や風船を見るとにっこりしたり大きく笑ったりするが,お絵描きの道具を渡すと,家にミサイルを落とす飛行機や,イラクの旗をつけたある種の構造物から飛行機に反撃している絵を書き始めた。誰かに言われたからというわけではない。イラクは混乱の極みにあり危険だ。(サーカスの)ほかのメンバーたちが状況が悪くなる前に立ち去ったことを私は喜んでいる。しかし,このとき私は,私たちのサーカスのピエロたちがここにいてくれたらと思った。戦車だの爆弾だのを,マジシャンやジョーカーに変えてほしいのだ。

持ち物をほとんど持たずに逃げてきたので,彼らはありとあらゆるものを必要としている。ヒーバとイスラーは,人目のないところに私を呼んで,下着と生理用品が必要なんです,と言った。仕事はファルージャにあるのでここでは仕事もなく,かつかつの暮らしをしているので,日常生活の必需品でさえも足りていない。ラビーアはもうお金が尽きかけていて一族を食わせていけないよと言う。

ヒーバの新しい夫のアリーは,戦争までの2年半,軍隊にいた。塹壕に身を潜めているとそこらじゅうで爆発があった。アリーには戦いたいという気持ちもなく,近くに爆弾が2発落ちてそれが不発だったときに,彼はピックアップ(車)に乗り込んで持ち場を離れ,ユニフォームを脱いでヒーバの家族の家にやってきた。私たちが到着したとき,アリーは横になっていた。しばらく前に車にぶつかられてから背中が痛むのだと言う。

イスラーは23歳,バグダッド大学で哲学を学ぶ学生だ。卒業したら学校の先生になるつもりだという。彼女は通常は,週日はバグダッドの親戚の家にいて,戦闘がますます広がるようになってから大学が再開されたので大学に行くことはできるのだが,ファルージャの学生のほとんどが抗議の意思を示すために通学することをやめている。彼女は到着したときにボイコットのことを聞き,参加することにしたのだが,ザイナブやマハのように,シャイマのように,最大の理由は抗議の意思を示すためではなく,疲れきって抑鬱状態にあるため,ホームシックで戦争にはもう飽き飽きしており,希望も一切持てないからなのだ。

生活についての雑談が,カウンセリングのようにあまりに重たくなり始めると,ちょっと軽い調子の話,全然まったく重要ではないことを話してみたくなる。エンダーの髪の毛がぴょこんと立っていて,サーカスのピエロに似てなくもないとくすくす笑ったり。実はエンダーはジャーナリストで,彼らのお父さんに真面目にインタビューをしようとしているのだが。あの髪,誰が切ったのと彼女たちが訊く。しばらく髪など切ってないだろう。だから私が今度私が切ってあげるってことで,と答えた。

バグダッドにいるラビーアの縁戚は今では24家族だ。3家族は夫が死んでしまった女所帯で,全員合わせて121人。息子のひとり,アーメッド・フィラス・イブラヒムはいったんファルージャに戻ったあと,まだファルージャから出られずにいる。ラビーアは家族すべてに,まだ戻ろうとしてはいけないと話をしたと語る。アル・ジョラン地区が攻撃された,とラビーアは言う。その日は地元の人たちは戦っていなかったが,そこにアメリカ人が来て強制捜査で家々に踏み込んだ。女性たちが悲鳴を上げ,ムジャヒディーンが現れて女性たちを守ろうとした。

「家は何のガードもないままで出てこなければならなかったよ」とラビーアは言う。「アメリカ人は人のいない家に入っても何もとらないと聞いている。家からものを盗み始めている人たちもいるという話だが,イマーム(聖職者)がそれを禁じているし,盗みをした者は罰している。」

ラビーアはサダムが嫌いだ。「サダムは犯罪者だ。私は前に何年間も監獄に入ってたことがある。私が入れられた部屋からは太陽が見えなかった。1971年に始まって,私はシリアで4年間亡命生活を送った。私の所属していた政党のアラブ民族党(the Arab Nationalist Party)が活動禁止とされたからだ。それからサダムは私たちを許すと言い,私たちはイラクに戻ったが私はモスクで逮捕され,民族党にいたことで15年の懲役となった。奴らは私の耳に電気ショックをかけた。私は党とはもう連絡を取っていないと言った。」

「ファルージャにはバース党がたくさんいた。イラク全土にバース党はたくさんいた。しかしファルージャで今戦っているのは,家や家族を守ろうとしているだけの者たちだ。この占領で何か実りのあるものを期待していたのだが,前は少なくとも仕事はあったのに,今は仕事もない。暴力で彼らを追い出すこともできるだろうが,いったん始まってしまった暴力はそれだけでは終わらない。私は今でも民族党を信じているし,ブレマー(CPA長官)には腹が立つ。」

ラビーアはIraqi Civil Defence Corps(ICDC)にいた。ICDCは24番のシェルターを駐屯地としていたから,彼は建物の鍵が外れるだろうとわかっていたし,家族を24番シェルターに連れていくことができるだろうということもわかっていた。援助を受けるためには地元議会に行って登録するようにと言われたが,彼はそれを拒んだ。地元議会と赤新月社の誰かとの間で,支援物資を横取りする密約が交わされていると固く信じているからである。

もうひとつのエージェンシーについて,彼は,人々を並ばせて4日ごとに支援物資を配っていると言う。そんなことは恥ずかしくてできないよ,と彼は言う。私が知る限り,不信感というのはまだたくさんあり,私が知る限り,権力を握っている人々の中には不正直な人がいる。そして私にはラビーアの気持ちがわかる。施しを受けるために列に並ばなければならないことに傷ついている彼の自尊心が,私にはわかる。この家族が何らかの意味のある援助を受けるにはそれしか方法がないということも私にはわかっている。しかし,私がどんなに口を酸っぱくしてそれしか方法がないのだからと言ったところで,ラビーアは「私にはできない」と繰り返すばかりなのだ。

ファルージャからの情報は主に電話で伝わってきていた。可能なときにはまだ残っている家族や友人につながるが,シェルターまでの地上線が切断され,今では出ていく人に頼っている。毎日私たちは彼らに訊き,赤新月社に尋ね,キャンプの人たちに質問をする。毎日彼らは,戦闘があると言い,爆撃があると言い,農場を通って行くことはできないと言い,または農場しか通れないんだよと言う。停戦条件で1日あたり家族から一定数の人数が戻れるということになり,人々はためらった。停戦が続くのかどうかはっきりわからず,空襲の中を車を走らせて戻るということに気乗りはしないからだ。

イラク赤新月社のキャンプには67家族がいる。そのうち7家族は今日到着した。トイレはやっと建設が始まり,明日の正午までには完成しているだろう。それまでの間,女性たちはキャンプに隣接した学校のトイレを使い,男性たちは学校とは反対側に隣接しているモスクのトイレを使っている。

イラク赤新月社のスポークスマン,クサイ・アリー・ヤッシーンは,特に子どもに下痢が多く,その原因は途中で飲まざるを得なかった不衛生な水であったり,あるいはバグダッドに到着してからの不衛生な環境であったりすると述べている。そして,精神的外傷とショックのために免疫がうまく機能しなくなっているとも述べている。暑さのために,子どもの間では胸(肺?)の感染症も流行している。安全のため,何人かが隔離されている。
毎日昼間に,地元の人々がやってきてはトレイや箱などに載せた食べ物を配る。赤新月社のクサイによれば,彼らが進んで,どんどん増えていく家のない人々に食料を手配しているのだということだ。昼の間はこのほかにも地元の人々が車でやってきて,援助を申し出ている。ユニセフの旗をなびかせた3台のトラックが水のタンクの部品の入った箱や,子どもたちの遊び場用の70フィートのテント,クレヨンや紙といった子ども用の物資を運んできた。

しかし今日のところは,そしてテントができるまでは,子どものためには何もなく,だからまたブムチャカ(Boomchucka:ワイルディングさんのサーカスで使う掛け声)の上演だ。エネルギーがあり余って,精神的エネルギーが押さえきれない何人かでブムチャカと大声を張り上げてキャンプ中を練り歩く。パラシュートゲームをしたり,シャボン玉をたくさん飛ばしたりして,テントとテントの間のほこりっぽい空間で大声で叫んで叫んで叫びまくって,セラピー効果があった。子どもたちは――彼らがいかに幼くなっているかの証だが――お願い,明日もまた来てね,と言う。子どもたちの精神的外傷はまだ生々しい。頭上を飛行機やヘリの爆音が鳴り響けば,それが目に見える。気を紛らわすことをしなければならないという子どもたちの必死の気持ちに,それが見て取れる。

私たちが去る前に,子どもたちは歌を歌いだした。「ザイン,ザイン,ファルージャ」―― good, good, Fallujaという意味だ。子どもたちは忘れない。誰のせいで家がなくなったのか,誰が親戚を殺したのか。後になってから,そんなに単純な話ではないとか,両親が悪いんだとか聞かされるだろうが,そんなことはまるで関係なく。ニュースでは,またもや,ファルージャではさらなる戦闘が,と言っている。ジャーナリストから電話がかかってきて,米国の新プランについてご意見を,と聞かれる。まるでここにいる私たちなら事情はわかるだろうという扱い。アメリカは次の1世代をまるまる相手にして戦争をしているというのに。

彼らの話ではそうなのだ。彼らが私たちに話したのは,もしも地元の戦士たちが火曜日までに武器を放棄しなければ,米国による攻撃がまた改めて開始されると,そして米海兵隊が既に,ナジャフのスペイン軍基地に移動して,ナジャフ侵攻の準備を整えているという。聖なる場所には一切入らないと言っているが,サドルは聖職者なのだから,サドルは聖なる場所にいるだろうし,ナジャフはそこら中が聖なる場所だらけだ。ゲリラ戦士の夢である墓地もある。ひょっとしたらシーア派すべてを敵に回すことになるかもしれないのだ。イラクの人々が「なぜ」を問わなくなるときなど,いったい,来ることがあるのだろうか。

Posted by: Jo / 12:50 AM
Tuesday, April 27, 2004

Tuesday, April 27, 2004
 
2004年4月23日(金)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/
Friday, April 23, 2004

またもやイラク危機,今度はデンマーク
一方でブレマーは度目の政策転換。しかしブレマーの飼ってるグレイハウンドはまだ吠え続けてる。CPAの政策を転換することはちっとも悪いことではない。政策を転換しないでさらに過ちを重ねるよりは,政策を転換した方がいい。

まぁね・・・1年も経ってないのに主要な政策を公式に転換するのが5度目となると,あんまり上出来とは言えないけれど。

今日のナジャフでの金曜礼拝はとても興味深く意味のあるものだった。アル=サドルとSCIRI)のスピーチが劇的に進化していた。アル=サドルは,もしナジャフが攻撃されれば自爆攻撃で戦争を開始すると脅しをかけている。サドルの民兵組織を人間爆弾として利用すれば,サドルは本当にものすごい規模の戦争をすることができるはずだ。SCIRIのスポークスマンのスピーチは,サドルとハキムの関係をはっきりと明言したものだと考えられる。スピーチではサドルとその反米方針が非常に強い調子で批判され,サドルの行動は,経済的にも人的にもシーア派にとっては害をなすものだという。シーア派の人が死ぬし,毎週の巡礼に訪れる人の数を減らす(つまり,市の収入を減らす)ことになる,と。これで,シーア派の2つの大勢力の争いが表面化してくるかもしれない。

(あ,シャロンも計画変更らしいですね。)

というところで・・・・・・
イラクの危機を解決するための僕のセオリーについて。
イラクのロードマップについての,僕の個人的な(そしておそらくはアナーキスト的な)見解を表明するわけで,僕の態度はある種「誘導」になります。まずは細部を検討し,それから全体像へと進みます。数日かかります。

イラク・ロードマップ:第1章:コンセプト

このイラク・ロードマップのコンセプトは,公式の謝罪の上に成り立つものです。というとユートピア的であるしある意味夢見る夢子さん的でもあるかもしれないんですが,CPAの失敗の連続を止めるためには,これが本当に重要なのです。

とにかく,いったん立ち止まって,過去に犯した過ちを認めて,それからリスタートする。

現状,失敗やら政策転換が相次いでいますが,このパターンでは,本当の意味での解決はまったく望めません。米国政府は,昨年は散々な大失敗だったと認めるべき,今の政策がそのまま続けられても何も実りはないと認めるべきです。堂々と,この失敗を認めることが,みんながやり直す地点となるのだと。謝罪では,イラクの大量破壊兵器のあれこれについて誇張していたことを認め,またこの戦争を正当化したほかの理由についても誇張を認めなければなりません。ブッシュ政権はアメリカ国民イラク国民に対して謝罪し,この正当ではない戦争で命を落としたり怪我をしたりした人々に保障をしなければならない。この偽物の同盟の一部として子供たちを送り出した世界各国の人々に対しても罪を認めなければならない。彼らは故国に帰されなければならないし,米国政府が責任を負うべきで,自分たちが引き起こしたこの混乱をおさめるのは米国政府のすべきことなのです。

昨年がほんとにひどい大失敗だったと認めることは確かに困難でしょう。戦争は正当なものではなかったと認めることも。しかし,ブッシュが再選されなければ,次の政府にとっては,ブッシュ政権にとってよりはやりやすいことでしょう。

イラク・ロードマップ:第2章:イラク政府

かつてのイラク政府の構造や制度を全部破壊してしまうという,この過激で極端な方法は,間違ったやり方でした。僕のような人間は1年前にチャラビの考えには反対し,ブレマーのような人間は今日になってようやく,これらの戦略も方法論もほとんどすべて有効ではないということに気付いたのです。

イラクの省庁の建物を物理的に破壊したこと,イラクの省庁の職員の構造やヒエラルキーを壊したことは,最大の間違いに数えられます。米国政府はサダムとイラク市民の区別をつけるという政策で進むべきだった。省庁の職員は民間人です。イラク社会をコントロールするためには省庁は最上の解決策でした。うまく機能していたし,宗教色もない。この国家を運営することの経験もたうし,それに戦後の状況をどう扱うかについては豊かな経験がある。再建キャンペーンでのキー・プレイヤーになっていたことでしょう。これらの省庁は立て直されなければなりません。

脱バース化という考えばそれ自体がものすごい誤りです,そんなことをしたらバース党員が影に隠れて再興することになってしまう。それに,新しいイラク社会にとって重要な人々や専門家をたくさん排除してしまうことになった。脱バース化は,かつてバース党がバース党員ではない人々にしたこととまったく同じです。モラルという意味でも大きな間違いです。僕のNGOのボランティア・スタッフたちが同僚を批判して,あの人は「バース党員」だから辞めさせてほしいなどと言ってきたときには,僕はこう言っていました――僕たちはバース党よりもよくあらねばならない,彼らが僕たちの生活をどのくらいめちゃくちゃにしたのかを感じさせなければならないけれど,彼らをコミュニティに参加させなければならない,彼らは同胞であり親戚なのだから。1年前,僕がこう言ったら,CPAの人は僕のことを「バース党員」呼ばわりしたんですよ。(笑) :*)

イラク軍の解体というお粗末な決定も,変更することができるでしょう。35万人の軍人が職を奪われて故郷に戻され食うあてもない。となれば,軍人たちは民兵組織に入って当然。あるいは「新イラク」に対して戦うかもしれない。・・・っていうか・・・マジお願いしますって! 彼らは職業軍人なんです! 戦うことが仕事! 元軍人が絶望して空腹を抱えてそれでいいなんてどうしてできるんですか。イラク国軍は再建されなければなりません。イラク国民は軍のことを尊敬しています。軍は都市の内部の治安の問題に責任を持てるし,国境線の警備もできます。宗教色抜きで作られた,よく訓練された軍隊です。軍人は月に250ドルくらいの給料が出れば,民兵組織には加わらない。米軍の完全撤退の前の第一段階としても,イラク軍を再建すべきです。そうすれば米軍の撤退にも活路が開けるだろうし,イラク人と毎日接触する機会も減らせるでしょう。
米軍基地を置いておくというアイディアは,ノン・ストップの戦争を始めるようなものです。「新イラク軍」と呼ばれている「もの」は,チャラビの民兵の拡大版とほとんど変わりはありません。誰も敬意を払わないし,だいたい何も有益なことはできない。マジッド(僕の弟)が,しばらく前に,チャラビの民兵についておもしろい記事を書いています。

イラクの市民社会も再起動されなければなりません。イラク人に,自分たちの国家を再建するのに参加しているのだという気持ちを持たせるために,そしてアメリカの魔法の杖の理論を変えるために。イラクの極小のコミュニティは(隣近所一帯のように)自分自身の権限を持たなければならないし,新しい社会を再建することにおいて,発言権を持たなければならない。省庁は「政府」であり,信用されうる存在で,6月30日に予定されているお笑い番組以上の権限を移譲されうるものです。権限移譲とは言っても誰にも権限を移譲せず,CPAの名前を「大使館」に変更してスタッフ3000人(今は1700人にすると言ってるけれど)を抱えているということは,そして大統領宮殿をその拠点にするということは,起こりうる中で最悪のことです・・・そう,最悪。

ではでは,投稿上限の1000語になってしまったのでこの辺で。 :*)
明日に続く

Posted by: Raed Jarrar / 11:36 PM, Friday, April 23, 2004

*translated by nofrills 27 April 2004


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