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Raed in the Japanese Language; originally Raed in the Middle
Wednesday, August 18, 2004
 
Faizaさんのウェブログより

※この記事はhttp://teanotwar.blogtribe.org/とのダブルポストのつもりで書いた原稿なので,ここをずっと読んでくださっている方々には,説明がくどくどしいかもしれません。ご容赦ください。(なお,現在blogtribe.orgのサーバが落ちているのであちらに投稿できません。そのうちにタイミングが合った時点で投稿します。)

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15日にここに書いた通り,バグダードのFaizaさんが武装強盗に遭い,車も財布もIDも取られました。

17日に,Faizaさんご自身のウェブログにこのことを書いた記事の英訳が上がっていたので,それを日本語にします。(アラビア語では14日に投稿されています。)アラビア語から英語への翻訳はバグダードのMayさんがなさっています。

いくつか背景説明があった方がいいかと思われるので,書いておきます――Faizaさんは女性で,大学で工学を学んでエンジニアになった方です。夫婦で水道の設備の会社を経営していて,Faizaさんはバグダード市内のお店に出ておられます。(お店の様子はFaizaさんの写真ウェブログに出ています:↓にリンクあり。)

なお,Faizaさんの息子さんがRaedさん,Khalidさん,Majidさんの3人で,3人ともウェブログをやってます。Raedさんは現在アンマンの大学院で学位取得のために勉強中(ウェブログは7月末に「あと10日」と言ったまま更新なし),KhalidさんとMajidさんはバグダードでそれぞれ学生をしています。Majidさんは2003年のフセイン政権崩壊後にお友達と一緒にメディアを立ち上げました。それはネットでも見られます(ネットでは「インディメディア」の一部になってるっぽいです)。Majidさんのところには一度death threatがあったようです。いずれもFaizaさんのウェブログからリンクされています。(Faizaさんのウェブログはページの情報量が多いので,全部表示されるまでに時間がかかります。)

http://afamilyinbaghdad.blogspot.com/
8月17日投稿分より

8月11日(水曜日)
こんばんは……

バグダードは緊張感に包まれ不安に満ちています……。

マハディ軍と,連合軍と暫定政権が対峙していますが,その作戦にイラクの新しい国軍と警察も加わっています。そのために,人々の間では怒りと不快感が増しています。事態はますます複雑になっています。

突然電気事情がよくなりました。何やら裏がありそうな感じでした。なぜだろう,と思ったら,アル=サウラ・シティ【訳注:サドルシティの一部】やマハディ軍が占領軍と戦っている地区で電気がカットされているのだとわかりました。それらの地区の住民たちが衛星放送のスクリーンに映り,助けを求めて叫んでいます。私たちには水も電気もないのだと……。隣人がこう言っていました。「この情けない行為は何なのか? 彼らのしていることはまるっきりサダム・フセインではないか。イラク人と反することをしている。これが民主主義なのか?」

私は冷笑的にこう答えました。「静かに。じゃないとアメリカ人があなたの言ってることを耳にして腹を立てて,『まったく感謝ってのを知らないイラク人だ,俺らが助けてやる必要なんかないだろ』とか言われちゃうわよ。」

※このあとの部分は長いので翻訳はとりあえず省略しますが,Faizaさんが参加したthe Professional's Union Conference(専門職労働組合会合)についてのレポートです。興味深いことが書かれています。

8月12日(木曜日)
こんばんは……

木曜日は好きです。私は木曜日を「チャリティと善い行いの日」と呼んでいます。一日中,よい気分で過ごしました。店のお客さんも多く,たくさん世間話をして,たくさん科学的な議論をしました。お客さんの中には,私の顔を,しげしげと眺める人もいます。そういう場合,私はにっこり笑います。私にはこういうことだからってわかっているので,彼らに怒ったりはできません。おそらくこの人は心の中で「たくましい女だな,自身満々で返答を返し,自分の仕事について訊かれたら答えられる」とでも思っているのでしょう。この人がびっくり仰天しているのが私には伝わってきます。でもそんなことは気にしていられません。こういうのには慣れてしまいました。女だからってこういうのは,うっとうしく感じることもあります。

いつもの木曜日と同様,貧しい友人が来たのでお金をいくらか渡しました。ご家族に果物やお野菜を買ってね,お母様によろしく,と。彼女は私にありがとうと言い,あなたのご健康を,あなたの安全を,災いが降りかからぬよう,などなど,あらん限りのお祈りの言葉を唱えました。いつものように私は笑い,彼女に「アーメン」と言いました。

店を後にして買い物に行きました。大きなメロンをひとつとお野菜と新鮮なパセリを買いました。店の男の子が車まで運んでくれました。15歳くらいの男の子です。私は彼にチップを渡しました。すると彼は恥ずかしそうに微笑んで「お願いがあるんです。こんなお願いして怒らないでくれますか?」と言いました。私は笑って「いいわよ,言ってごらんなさい」と答えました。

彼は「新しいTシャツを買ってくれませんか?」と言いました。

私は笑って言いました。「たった1枚ではあまり役にも立たないでしょう? 息子が着ていたTシャツやズボンをまとめて持ってきてあげるわ。息子たちにはもうサイズが合わなくなってしまったけど,まだ新しいのがあるのよ。」

彼の笑みは広がりました。「うれしいです。ありがとうございます。」

家へ向かいながら,私は幸せに満たされていました。他の人に愛を与えることは,悲しみに沈んだ心にとっては癒しとなります。今朝は親戚の娘さんに,お金を入れた封筒を送りました。彼女は大学を卒業したばかりで,最近毎日がこんな状況なのでお祝いに行けなくてごめんなさいねと書いて送ったのです。仕事を終える前に彼女は私に電話をしてきて,嬉しいです,ありがとうと言い,ぜひ一度いらしてくださいと言いました。私は来週彼女たちを尋ねることを約束しました。

家に帰りながら私はそんなことを思い出していました。今くらいに幸せで考えがすっきりしているときに死ぬとしたら,案外悪くないじゃないの,などと考えて。私は笑顔のままで,家へと車を走らせていました。

バグダードは相変わらず緊張状態にあります。ナジャフに軍隊が集結している,米軍が街に入ろうとしている,聖地に入るためにイラク軍を盾として使おうとしている,との報道がありました。スピーカーで住民に街を去るように呼びかけているとも聞きました……とても気の滅入るニュースです。まるでファルージャの話がそのまま繰り返されているかのような。でも今度はファルージャではなく,イラクの別の都市です。

運転しながら私はずっと聖クルアーンを聴いていました。the Verses of Yousifです。私はこのverseが大変好きなのです。彼が生きていく上でいかに多くの悲しみに直面したことかと悲しくなり,ストーリーの結末で嬉しい気持ちになります。Yousifの忍耐と真の信仰に対し,神がいかに多くの善を彼に為したか,と。

さあ,家に着きました。毎日私は家に着く前に携帯で電話をして,そろそろ着くからと車庫の門を開けておいてもらっていました。しかし今日は,寝てるかもしれないし,いちいち頼まずにおこうと思っていたのです。私は車を停め,外に出て,鉄でできた車庫の門を開けました。車のエンジンはかけたままでした……私は完全に落ち着いていました。聖クルアーンはまだthe verses of Yousifを朗誦していました……。門の2枚目を開けたとき,赤い車が1台やってきて,私の車の横に停車しました。私は落ち着いた状態でその車の方を見ました。きっとご近所のどなたかを訪ねてきたんだろうと思いました。しかし,彼らは素早く車を降りて,私をまともに見ました。ライフルや拳銃で,私のことを,狙っていました。私は壁にはりつきました。私を殺しに来たんだ,と思いました。多分,昨日の会合で私があれこれ批判をしたからだ……。

その瞬間,すべてが凍りつきました……私はもう死んだ,と思いました。

通りには誰もいなくて,私たちの家の木のドアは閉ざされ,発電機のうなる音が辺りを満たしていて,誰もここで何が起きているのかに気付いていなかった……

彼らのうち2人が私の方に来ました。声を出すんじゃないという身振りをして。それから1人が車に乗り込みました。もう1人はずっと銃を私に向けたままでした。その時私は気付いたのです,車を盗みにきたのだと……私は1歩前に出て,もう1歩,下がりました。混乱していました……しかしはっきりと,彼らに聞こえるように,言いました。「車は持っていきなさい。でもお願いだからハンドバッグは返してちょうだい。IDカードが入ってるの……」

彼らは私のお願いには耳を貸さず,車のドアを閉めました。心臓が,まるで一部を鋭利な刃物で切られたかのように,震えていました……私は大声をあげ叫びました。震えていました。「神様……私の車……お願いです,彼らに車を恩恵として与えないでください。」奇跡が起こって彼らを止めてくれるよう願いました。けれども彼らは素早く行ってしまいました。心臓は張り裂けんばかりでした。私は木のドアへと走り,死に物狂いでノックをしました。(息子の)ハリドが出てきました。私は震えて泣きながら「一緒に来て,武装したギャングが車を取ってったの」とハリドに言いました。

私は通りへと走り,最初に通りかかった車を止めて言いました。「お願いします,助けてください。車を取られたんです……取った奴らを追いかけるか,警察に届けるかしたいんです……」

ハリドは「ママ,落ち着いて」と叫んでいました。でも私はそれを聞かなかったし,それに反応しもしなかった。

最寄りのイラク軍の番所に行って,車を取られたことを告げました。その人は,お気の毒ですがそれはこちらでは対応できないので,次の通りの警察署に行ってください,警察ならお力になれると思います,と言いました。

私たちは正面に警察車両が集まっている警察署に行きました。同じ車がおそらく20台あるいはそれ以上ある場所,指導を受ける場所へと,彼らは私たちを案内しました。彼らは署長のところに私たちを連れていきました。署長さんはとても協力的で理解を示してくれました。署長さんは無線で話を始め,どんな車か,ライセンス番号はいくつか,などを告げ,バグダード内と周辺のすべてのチェック・ポイントに素早く合図を送りました。

署長さんは「こちらへお入りください。顔を洗って,お水を少し飲むといいですよ」と言いました。

口がからからで,心臓はすごい速さでどきどきいっていて,全身がガタガタと震えていました……私は部屋へ入りました。多分,警備の人たちの仮眠室でしょう。きれいに片付いていない粗末なベッドが何台かありました。私はハリドと一緒に腰をおろしました。どなたかが水を持ってきてくださいました。私は水を少し飲み,顔を洗いました。まるでうとうとしていたので目を覚ましているかのように……私は立ち上がり,壁に頭をもたせかけ,そして一気に泣き出しました……部屋では男の人がひとりお祈りをしていました。お祈りを終えると私にも祈ってくれました。ハリドは私を落ち着かせようとしていました。別の人が言いました。「泣かないでください,私の車のキーです。どうぞお使いください。ご返却はいつでもかまいませんので。」

ありがとうございますと言って,私は泣き続けました。誰にともなく「あの犯罪者たちが私から奪ったのよ,ほんとに神様を信じてるこの私から。私が泥棒ならこういう目にあっても当然でしょうよ,でも私は今日一日,善いことをしてたのに……どうして私がこんな目に遭うの?」と言って泣いていました。

あんまり悲しくて死ぬかもしれないと思いました。太刀打ちしようのない汚い敵の前で叩きのめされた感じがしていました……警察でさえどうしようもないと思いました。車を取り戻せる可能性はとても少ないと。

(夫の)アッザムが来て,別の警察署へ盗難届けを出しに行きました。それから書類にサインをして,家に戻りました。

午後3時ごろでした……私はくたくたでした。服を着替えましたが,顔は洗いませんでした。ベッドに横になり,頭からすっぽりかけ布団をかぶりました……泣きました。とにかく泣きました……。何度も何度も思い出しました,彼らが銃を持って車から降りるところを,目の前に死を見たのを,パニックに陥ったことを,そして彼らが車のドアを閉めて行ってしまったのを……。

ハンドバッグのことを思い出しました。私の携帯電話,私の英語のノート,友達から借りた本が何冊か……バッグには家の鍵とお店の鍵,アンマンのアパートの鍵,小型の電卓。小さな電子辞書,老眼鏡,電話帳,それにID類(市民身分証,技師労働組合員証,運転免許証,the Career Women Societyの会員証),名前と職業を書いた名刺,イラクのお金と,お店にあった米ドルがいくらか入った小さなお財布……筆記用具類,カセット(そのほとんどは聖クルアーン)。犯罪者たちが私のバッグをあけてIDや名刺やらを次々と見ているのを想像し……さらに気分が高ぶって,ますます泣いてしまいました……。

ハリドがそばに腰掛けて,慰めてくれていました。「ママ,これは神のご意志だよ,試練なんだから,忍耐を示すんだ。預言者たちも傷ついて痛みを感じ,忍耐を示したじゃないか……」

私はとにかく泣きました,泣きじゃくりました……。やがて落ち着いて,クルアーンの章句をいくつかとなえ,静かにして中空を見つめ,そしてまた涙がじわりとこみ上げ……車や中にあったもののことを悲しんでいるわけではない,あまりに突然のことで,あまりに恐ろしいことだったから……
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昼食は食べていませんでした。夕食も。胃はからっぽで痛みましたが,何も食べたくなかった。

眠ることができませんでした。どうしても思い出してしまう映像のせいで眠れない……そのたびにハリドを呼んで,クルアーンの章句を読んでもらう,そうすれば少し落ち着くかもしれないと思い……ハリドはずっと話しかけ,慰めてくれます。部屋を出ていったかと思えば,また様子を見に来てくれる……。

一晩中ずっと,悲しみと驚きを味わっていました。やがて眠りに落ち……いつ眠ったのかはわかりませんが……アッザムに,家の鍵が車のキーと一緒にキーホルダーにつけてあったから,外の鍵を付け替えなきゃならないわ,と言ったことは確かです。アッザムはそうだね,朝になったらやるよと言っていました……。

8月13日(金曜日)
8時ごろに目が覚めました。するとアッザムが旅行用のスーツケースを床に置いている……アッザムはにっこりして「おはよう」と言いました。私は「何よそれ?」と言いました。

アッザムは「忘れたのか? 出張で飛行機を予約したぞって言ったじゃないか」と言います。「いつ?」と私は冷たく言います。

「今日だ」とアッザムは言いました。「昼の12時……前に言っといたじゃないか。」

私はいいえと首を振りました……押しつぶされたような気持ちでした。それじゃ誰にも話ができない,誰とも会話できないじゃないの。

アッザムは長くはかからないよと言いました……アメリカから輸入しようとしている浄水システムがあるのだが,大きいものだから輸送に問題が起きて,アンマンの代理店と問題を話し合わなければならない……それから,支払いについても合意事項がある……それから……それから……アッザムは話し続けました。私はもう聞いてなかった。彼は,私とは何の関係もない世界の人なんだと感じていました。

天井をぼーっと見つめました……ひどく痛みます。息ができない。でも泣くこともできない……まぶたは腫れて鼻はつまり,息も充分にできません。ものすごい頭痛がします……そしてこの人には本当にがっかり,取りつく島もない。おかげで私はひとりぼっち。アッザムはまた私に着るものについて訊いてきます。スーツケースに荷物をつめるのを手伝ってくれって言ってるのかしら……でも私は石のように固まって,何も反応しない……。

彼は空港までの車を呼んで,そして私の側へきました。私の顔を見下ろして,起きてるのか寝てるのかを確かめ……私は彼を冷たく見据えます,まるで死人のように。彼は別の部屋へ行き,コロンを振りかける。ドアのところで立ち止まって「じゃあ行ってくるよ」と嬉しそうに楽しそうに言う。それからバタンと音を立ててドアが閉まり,家の中はひっそりと静まりかえる。

私は天井を見つめ,深く息を吸いこみました……いいえ,私は夫に腹を立てているのではない。男ってああいうもの……ああやって生活してくのが男のやり方なのよ。

この状況で,誰かに手を握っていてもらう必要があるのに……でも夫は忙しい,もっと重要なあれこれがあるから。
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親戚や近所の人,友人たちが電話をくれましたが,誰とも話したくありませんでした。何も聞きたくなかった……ただもうくたびれていた。ひとりになりたかった……

ミルクとコーンフレークで朝食を用意しましたが何も食べられなかった……胃袋までが悲しみでどうにかなっているようでした。
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車の運転手,隣人ですが,その人に頼んで家の鍵を新しく買ってきてもらいました。その日は息子たちと一緒に過ごしました……私はラザニアを料理しました……息子たちの好きなイタリア料理……息子たちと楽しく過ごしました……神に彼らをお守りくださいと祈り続けました,だから彼らには何も害が及ぶことはないでしょう……この終わりある世の中で,彼らが私の幸せの源泉なのです。

今日は金曜日,祈りの日。私はお祈りをし,聖クルアーンに聞き入ります。

午後,親戚の家に,娘さんへの贈り物をことづけて,(息子の)マジドをやりました。私が婚約パーティに招かれていたのですが,この状況ではとお詫びをしました。マジドは腹減ったよぉと言って戻ってきました。他のお客さんの料理を取り分ける世話ばかりやいていて,食べるのを忘れたんだそうです……ハリドも母さんメシ~っと言っています……息子たちの夕食の準備をしましょう。

他の人に愛情を与えることは,悲しみに沈む心にとっての癒し……ここでもまた私は,この言葉を思いだすのです。

明日仕事に行けるかどうかわかりません。夕方にはCareer Women Societyのミーティングがあります。明後日は協会で英語のレッスンがあるはず。でも誰にも会いたくないし,何もしたくない……ひとりでいる必要があるのです……自分自身,静かに穏やかに感じる必要が。
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さて,夜の11時になりました。さっきまで台所にいました。夕食は取りませんでした。食欲がなくて。これから寝ます……。

随分落ち着いてきたようです。もう悲しい気持ちはしていないし,泣きたくもならない……起きたことを静かに,諦めの心境で,受け止めています。

起きたことは神のご意志……神様,感謝します。

取られたものが戻ったら,神に感謝を……戻らなくっても,やはり,神に感謝を。神は神のなさりたいことをなさる。私たちは弱く蒙い僕に過ぎません。最も重要なのは,私の信仰が揺らがされることがないこと。神への信仰,神の正義と慈悲への信仰が。

信仰があれば,私たちは人生の重荷を乗り切ることが楽になる。信仰がなかったら人生とはいかに残酷になるでしょうか? そしていかに醜いものに?

Arabic to English: Translated by May \ Baghdad.
*English to Japanese: translated by nofrills, 18 August 2004

# posted by faiza : 10:14 AM, 17 August 2004


14日分も一緒に英訳されて投稿されているのですが,ここまででもかなり長いので,いったん区切ります。(次の投稿はおそらく19日になります。)

Sunday, August 15, 2004
 
再度,Khalidさんのウェブログより

Raedさんの「あと10日」は,少なくとも「あと15日」の意味だったようですが,弟のKhalidさんがアクティヴなので,再びKhalidさんのウェブログから。

Faizaさんが大変な目に・・・昨日Faizaさんのウェブログを見たとき更新されてたのはアラビア語の記事だったので何が書かれてるのか読めなかったのですが(今も同じ:英語への翻訳待ちの段階か),よもやこんなことが起きていたとは・・・。

http://secretsinbaghdad.blogspot.com/
Saturday, August 14, 2004

・・・略・・・

ここ数日は電気と水道が劇的に改善されている。嬉しかった。ただし,嬉しかったのは,アラウィの政府がサダムのやり方を踏襲しつつあることがわかるまでの話だった。アラウィの政府は,ナジャフだけでなく,バグダードのサドルシティなどのシーア派地域に,集団懲罰を加えている。【訳注:シーア派地域への電気や水道をカットしているのでしょう。】だからうちの方には水や電気がたくさん回ってくるようになったってわけだ。

Riverbendがブログを再開したので,彼女のサイトを見てみてください。

あと,個人的なことなのですが,うちの母が武装したハイジャッカーに出くわしました。幸いにも無事です。神よ感謝します,彼らは母を殺さなかった。母の車と財布と携帯電話と現金とあとほかにいくつかの物を取っていっただけです。事件があったのはおとといですが,うちの母は大丈夫,精神的にもショックから立ち直って,通常の生活に戻りつつあります。

母は,車から出てくる男たちがMP5マシンガン【訳注:参考】を持っているのに気付いて,暗殺しに来たんじゃないかと思ったそうです。(母は女性団体を通じて反占領活動に関わるようになっています。)なので,彼らの目的が車「だけ」だとわかったときはほっとしたとのこと。

hamdilla assalama mom! (thank God for your safety) :))

政府はイラク警察をバグダードから引き上げてしまった。ナジャフのシーア派と戦うために警察が必要だから。そのためにバグダードは犯罪者たちがやりたい放題になってしまってます。

僕たちが警察署に着いて,警察に何があったのかを告げると,警察官のひとりが僕の手に何かを握らせました。車のキーでした。その警察官は僕に,あなたがたの車を警察が見つけるまでは私の個人用の車を使いなさい,と200万回も言うのです。僕がどんなに断ってもそうしろそうしろと言うばかり。僕は彼に何度も感謝して,でももちろん彼の車を使ったりはしませんでした。だって,彼の車までハイジャックされないっていう保証はない。

でもイラクの人間のこのまごころ,こんなこと,イラク以外のどこかにあります?

さて,父が昨日仕事の出張でヨルダンへ行ってしまったので,今は僕が家長の役。家のあちこちに手持ちの武器(として使えるもの)を配備して,うちを襲撃するプランとしてあり得るものに対応するシナリオを想定し,反撃するプランを立てました。というのは,ハイジャッカーは母の財布を取っていったんですが,そこにはIDカードや名刺が入れてあって,さらに米ドルで現金が入ってたんですね。この米ドルってのが最悪で,米ドルを持ってる人なら家にはもっとたくさんあるだろうと思われちゃうわけです。僕らとしては,同じ連中が襲ってくるだろうと考えてます。さらに,家族のひとりを誘拐しようとするかもしれない。現在では誘拐が他人からお金を取るのには一番いい方法になってるわけだし。神が私たちをお守りくださる。僕たちは神を信じている。僕たちのために祈ってください。

こんな具合に治安がめちゃくちゃ。あなたの家に入った泥棒を撃った場合,その泥棒が家の中にいるときに脚を撃てば,そいつの部族がやってきて金を要求するだろうし,金を出さなければ殺すとか家をぶっ壊すとかいうことになるでしょう。あるいは時には金銭は要求せず,単にやり返すだけかもしれない。というわけで,僕にはっきりとしているのは,攻撃を受けた場合は撃ち殺せ,情け容赦なく頭に撃ちこめ,ってこと。誰かがあなたに対してやりかえす理由ができてしまったら,だれも,だれひとりとして,自分たちのメンバーも守れないあのアホな政府も,警察も,軍隊も,だれひとりとしてあなたを守ってはくれない。彼らはいい装備で武装したやくざ者で一帯を支配している,僕たちはこんな状況に生きているんです。僕のような極めて平和的な人間でも,家族を守るために情け容赦なく殺すことができる。

殺す?

「殺す」なんてもう恐ろしいことばじゃなくなった。僕らは何千何万という死人を見てきた。バラバラになった人間を,そこらじゅうに散乱した腕や脚を,地面にくまなく広がった血を見てきた。そこには常にアメリカの機械や戦車やヘリコプターの音がしていた。

あなたにとって,死とは何ですか? よい香りをつけた棺の中に横たわる晴れの衣装を着た綺麗なご遺体ですか? ブーーー,残念。もう1回考えてください。死ってのが実際どんなものか見たいですか? 死ってのにいとも簡単に起きてもらいたいですか? アメリカン・クラブには入らないでください。入らなければ死なんていくらでも見られます……
僕の言う通りだからね。
me*

posted by khalid jarrar # 3:45 AM
*translated by: nofrills, 15 August, 2004

*訳注:
本当に蛇足ですが,最後の方は「皮肉」です。私の日本語のせいでそれが読み取れないといけないので,念の為に付け加えておきます。


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