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Raed in the Japanese Language; originally Raed in the Middle
Friday, October 22, 2004
 
*日本語化担当者よりお知らせ

ここ数日のいくつかのエントリにある「医療支援」については,今後ここではなく(Raedが彼のウェブログに書いた場合を除く),私が運営する別のウェブログ,http://teanotwar.blogtribe.org/にて更新します。

「Jarrarさんたちの支援活動」というカテゴリ↓をご覧ください。
http://teanotwar.blogtribe.org/category-abf2b4f9f146aaa99408488562d3be37.html

よろしくお願いいたします。

nofrills(いけだ)拝

Thursday, October 21, 2004
 
2004年10月20日(水)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/

Wednesday, October 20, 2004

今になっても残っている国際NGOのひとつのCAREが,イラクでの活動をストップさせました。昨日ディレクターが拉致されたのです。バグダードでのNGOの会議では,僕は毎回このディレクターに会っていました。気の毒です。
【訳注:参考です⇒CAREのマーガレット・ハッサンさん拉致に関するBBC記事

国際NGOや,イラクでの彼らの活動についてはいろいろ書きたいことがあります。彼らのプロジェクトについて,費用について,またイラク国内にいる様々な国のスタッフについて,など。けれど,これを書くのは数週間先,この拉致が解決してからにしたいと思います。平和的に解決してほしい。

外国の人道支援組織のほとんどがイラクから撤退してしまい,イラク「政府」は無能力で資金が不足していて,それから地元のグループや組織はもっと資金不足で,イラクにおける人道上の危機はますます深刻になってきています。

一方で米軍は,占領当局が掌握していないおよそ20の市や町を攻撃する計画を立てている。

ジャラール家(即ち,僕と僕の家族)は,小規模な個人ベースの人道支援キャンペーンをスタートさせることにしました。期間は1ヶ月(延長するかもしれません)。医療物資や食料,毛布といった必需品を買い,最も影響を受けている市や町の病院に直接届けます。この小規模なキャンペーンの活動について細部もはっきりさせるために,イラクにいるNGOでまだ機能しているところ(例えばOccupation Watchがありますが,あるいはそれ以外でも)の監督下で動くよう,最善を尽くします。いずれにせよ,下記のようなプランを立てています。

●金銭はPaypalを通じて僕の口座(Jarrar_raed@hotmail.com)に寄付される。入金については僕のウェブログで報告をします。
●弟のMajid【訳注:マジードさんは9月からカナダの大学に通っています】がカナダのヴィクトリアで集金して,それを僕のヨルダンの銀行口座に送金します。
●必要な物資は僕がヨルダンで調達し,僕のウェブログで領収証を公開します。
●それから僕がバグダードの家族宛てに物資を送ります。そこから家族が,優先度と届けられるかどうかを考慮した上で各地の病院に物資を送ります。
●病院からは,かくかくしかじかの量の物資を受け取ったという公式な書類を受け取ります。それらの書類は,僕たちのウェブログで公開します。
●月末(11月末)に最終的な会計報告を出します。

金銭はクレジットカードからも送っていただくことができます。少額であってもイラクでは大きなものです。

今日,最初の寄付がありました。日本のトモコさんという方からです。日本円で10000円でした。

Posted by: Raed Jarrar / 7:42 PM
* translated by: nofrills, 21 October 2004

Wednesday, October 20, 2004
 
ファルージャ医療支援寄付の呼びかけ:5ドルでも大きな違いが出る(Khalid Jarrarさんより)

※以下はhttp://teanotwar.blogtribe.org/とのダブルポストです。

Khalid Jarrarさん(Raedさんの弟,バグダード在住)がファルージャに医療物資(とにかく脱脂綿や抗生物質など)を送るために,Raedさん(アンマン在住)の銀行口座を借りて,寄付を募っておられます。私もここに送金するつもりです。送金手数料がかかるので,まとめて寄付ができれば,なんて考えています。

Khalidさんのウェブログ,19日の記事より。(日本語として流れがよくなるように,冒頭部分は原文をちょっと編集してあります。)

Tuesday, October 19, 2004
ファルージャで軍事行動が行なわれています。これに賛成していない方,何かをしたいという方への呼びかけです。

ファルージャでは,家や街路は激しく爆撃されています。家族たちは今もまだファルージャにいますが,爆撃を避けるために,農場や開けた土地やモスクに暮らしています。病院はひどい状態です。

僕は援助をと呼びかけました。薬品を送ろうと申し出てくれた方々もおられました。ですが,イラクまで輸送するには時間がかかります。同時に費用もたくさんかかります。

なので僕は兄のRaedに,寄付金を受け取るために銀行口座を使わせてもらえないかと頼みました。

(僕がいろいろと買ってファルージャに届けるようにします。)買ったものについてはすべて領収証をもらっておきます。

みなさん,お願いです。できる範囲で助けてください。高価な医療機器も必要ですが,5ドルもあれば脱脂綿や抗生物質といったものがたくさん買えるのです。1ドルでも大きなものです。みなさんが5ドルを送ってくだされば,最終的には多くのお金が集まります。

口座は下記の通りです。

Raed Azzam Kamel Jarrar
the housing bank for trade and finance
account number: 001 578228 0210
swift code: HBHOJOAXXXX
Amman, Jordan

お金がどう使われるかについては,僕がしっかり監督します。よろしくお願いします。
khalid jarrar*

posted by khalid jarrar # 2:25 AM
*translated by: nofrills, 20 October 2004


送金についてはhttp://teanotwar.blogtribe.org/のこの記事をご参照ください。

 
Raed Jarrarさんのウェブログ,10月17日の記事(原文 | 日本語化)に言及されていた,AFSC (American Friends Service Committee) のRaedさんインタビュー記事です。

A Young Iraqi Informs and Empowers
by Wendy Univer
http://www.afsc.org/iraq/personal_stories/entries/101304.htm

Raed Jarrarのウェブログをざっと見てみるだけで,現在のイラクの社会の複雑さがよくわかる。Raedはウェブログへのリンク部分で,(父親の)Azzamを「資本主義者である父」,(母親の)Faizaを「シーア派である母」,(弟の)Khalidを「スンニ派である弟」と紹介している。そして,「世俗主義の僕」へのメールのリンクもある。【訳注:正確には,Azzamさんのサイトはウェブログではなく,ビジネス(水道設備)の紹介。】

彼は26歳,建築を学ぶ大学院生で,家族のみんなにウェブに書き始めさせたのは彼だ。世界に向けて彼らの「さまざまな信念」を示すために。

「イラク人はともに生きていけるんです。宗教上,政治上の違いや問題があっても。」ヨルダンのアンマンで携帯電話に出たRaedは,こう断言する。「僕は,イラクで起きていることのありとあらゆる色を示したい。僕たちの問題を解決するために,外から誰かに来てもらう必要はないんです。」

Raedは,イラク人の母親とパレスチナ人の父親との間に,バグダードで生まれ,イラク,サウジアラビア,ヨルダンなどいくつかの国で暮らしてきた。2003年,戦争が不可避であると思われたときに,彼はアンマンの学校からバグダードに戻った。敵意の只中で,家族と一緒にいるためだった。

情報についての熱意
2003年4月にバグダードが陥落した後,Raedは2,3日にわたり,市の中心部,サダムの銅像が引き倒されたフィルドス・スクエア近辺で,状況をさぐった。「あのときがちょうど,僕たちの(=イラクの)人々に何が起きたのか,民間人の犠牲はどのようなものかを尋ねることを始めるためにはいい時期でした」とRaedは説明する。「何が起きているのかを自分自身で確認する必要があったんです。というのは,電話は通じてないし,ニュースなんか見てたって何もわからなかったから。」

イラクの人々に対して戦争が与えた影響について,Raedは熱心に,客観的で「科学的」な情報を求めていた。そして彼はMarla Ruzikaに会った。Marlaは経験のある国際支援活動家で,バグダードで爆弾が原因の戦争の犠牲者のことを調べていた。

Raedはその調査を拡大し,戦争の影響を受けたすべての県(州)を調査した。彼はこの長大な計画を実行するために,ボランティアたちを組織し始めた。CIVIC Worldwideの後援で実現したイラク民間人犠牲者調査は,彼らの奮闘の賜物だ。Marla Ruzikaが資金集めやメディア向け広報を担当し,Raedが175人以上のボランティアたちをまとめていたのだ。

最初に,彼らは病院や診療所を訪問し,医療関係者からデータを集め,調査を手伝ってくれる医療専門家たちをスカウトした。それから,ボランティアたちがバグダードや南部の多くの都市を日々戸別に訪問した。調査員たちは大都市もその周辺の小さな町や村もくまなく調査し,人的犠牲と財産の破壊について,氏名や個人の情報をまとめあげた。

死者・負傷者についてのCIVICの調査は,AFSCの展覧会,Eyes Wide Openの基礎となっている。この展覧会は現在全米を回っている。

CIVICは数字に氏名と顔をつけた
CIVICのボランティアたちは,一軒一軒訪ね歩くことで,犠牲者数はイラク保健省の公式報告よりも10~50パーセント高いということに気付いたのだとRaedは言う。数えられていなかった犠牲者の多くは,病院に行っていなかった人々だ。また,公式な戦闘の最後のほうでは混乱が高まり,医療スタッフもてんてこまいになっていて,正確な記録をつけることができていなかった。

Raedは数だけでは満足しなかった。彼は,報告されるすべての件について,氏名と年齢,職業,家族関係が必要だと主張した。「要は,すべての犠牲についてそれぞれ,個人の情報を結びつけることです。そうすれば,誰の目にも,この惨事がイラクの人々にとっていかに大きなものであるかが,わかるでしょう。」

Raedはまた,民間人として数えられるのはどういう人かについて,厳密なガイドラインを守った。家にいただけ,あるいは車の中にいただけで戦闘に参加していなかったのに巻きこまれた人々について,真実を世界に示すためである。

現在のように状況が悪化する中で犠牲者調査を続けることについて訊かれ,Raedは,現在は不可能でしょうね,と言う。「これ以上はないというカオスになってしまっていますから。病院は機能していないし,移動もできません。」

憂鬱なことに,Raedは既に,将来において,墓地の埋葬記録を使うことで,これらの新たな犠牲者たちを数える戦略を検討している。

Emaar:内部からのイラクの再建
Raedの奮闘は死者と破壊の数を出すだけで終わりはしなかった。それどころか,彼は修士論文の基調となる論のひとつで,戦後イラクを実際の例として取り上げている。紛争後の国の再建は,その土地の人々によって為される小規模な草の根の努力により,ミクロのレベルで行なわれるのが最もよい,と彼は考えている。

このような次第で,RaedはEmaarというNGOを立ち上げた(Emaarとはアラビア語で「再建」の意味である)。Emaarは,小規模で中央からの指示のないイラク市民の集団が,日々の仕事の枠を超えてボランティアのプロジェクトを行なうよう,動かしている。

「みんなには自分の暮らす地域でボランティアとして仕事をしてもらっています」とRaedは説明する。「破壊された構造物を再建し,イラク人の自身を再建する。自分の住んでいる通りのゴミを誰かが片付けに来るのを待つのではなく,自分で片付ける――まずは自分の住んでる町から,自分たちで始めよう,ということです。」

再建にかかる費用
Raedは,イラクの人々は3度の戦争を行きぬいてきた,教育の高い人々なのだと言う。イラク人は創意工夫に富み,地元にある材料や適切な技術を用いていかに仕事をするかを知っているのだ,と。

彼はEmaarが再建した学校の例を挙げる。その学校は,イラク南部,湿原アラブ人,すなわちマダン(Madan)の人々の故郷にあり,ありあわせの資材で再建された。湿原アラブ人はサダム政権下でひどく迫害され,戦後イラクでも苦しみ続けている。Emaarはナシリヤー県で新しい学校を1軒,備品類も含めて総額わずか2500ドルで建設した。米国の大企業が10万ドルでペンキを塗ったり「お化粧」したりしているバグダードの学校と比較してみよう。

「あれだけのお金があれば,僕たちはイラク南部の湿原地帯に学校を40軒くらいまで建設できます」とRaedは主張する。「それと,学校を建てる作業をする人々が,自分たちは社会の一部なのだ,何年も続いた抑圧と,外からの介入によってぼろぼろになってしまった社会の一部なのだと感じるでしょう。」

Emaarのプロジェクトのほとんどが,学校建設などといったものよりもずっと規模は小さい。100ドルとか500ドルといった金額をやりくりしつつ,Emaarのボランティアたちは橋をやフェンス,水道管などを修復した。Emaarは3ヶ月ほど米国の資金を受け取っていたが,そのお金が尽きて活動は停止された。今のように攻撃が頻発していると,Emaarの活動は不可能である。

怒りを理解に変えること
戦争のときに,なぜウェブログを?

この問いに対し,Raedは「それが僕のすべきことだからです」と答える。「僕には,自分の声を他の人々に,アメリカやヨーロッパの人たちに届かせるために必要な文化体験も言語の能力もある。イラクで実際にどんなことが起きているのかを理解してもらうために。」

自身の意見を公表するために巨大なメディアに加わることは自分の原則に反する,とRaedは続ける。だから,ウェブログが,彼の意見を表現するために,費用のかからない「適切な技術」となったのだ,と。

Raedはヘイトメールもたくさん受け取っているが,そのいくつかは時々冗談めかしてウェブログに掲載される。Raedは彼を「バアス党員」だと非難するメールを何十通も受け取っているが,そのバアス党はRaedとその家族を何年にも渡って苦しめてきたのだから,彼がバアス党員呼ばわりされるとは皮肉なことである。

「ヘイトメールを生むのは,無知です」とRaedは言う。「単に無知だからああいうメールを書く。なので僕は,個人に向けられたものだとは受け取らないようにしているし,極めて穏便なかたちで,『僕はあなたと同じようなひとりの人間だ』とか,『それは事実とは違う』とかいったことを知らせるために,返事を書いている。事実を挙げるようにしているし,申し訳なかったという返事や,こういう考えもあるんじゃないかといった判じを受け取ると,とても嬉しいですね。僕のウェブログはそういうことなんです。」

しかし,Raedはウェブログの限界についてはちゃんとわかっている。「憎悪を打ち崩すことは簡単ではないです。僕たち双方の政府は,この憎悪を主要な武器として,政府の大義を支えるために利用しているんですから。」

異なった種類の政治の実践
Raedのウェブログの題名は,「Raed in the Middle: Lost between the east and the west(宙ぶらりんのライード:東と西の狭間で道に迷って)」という。彼の人生は,まさにボーダーレス(boundary-crossing)研究である。半分はイラク人,半分はパレスチナ人で,ネットで知り合ったイラン人女性と婚約している男性で,宗教面では世俗主義を貫き通し,LOL(「爆笑」の意味)やウィンクしている表情をあらわす顔文字などがちりばめられたウェブログを英語で書いている。

しかし,Raed Jarrarのキーワードは,「統合」であるように見える。

「政治はインフラや建築,人類学や社会学と切り離されているものではない,というのが僕の考えです。CIVICやEmaarで仕事をしてきましたが,あれらは政治的な組織ではないのだけれど,深い部分で政治化されています。イラク再建の基礎を,内部からの統一体として示している。僕はプラクティカルなポリシーが一番よいと思っているし,イデオロギーについて議論をする代わりに,特定の政治的理念を強調する前提で物事を行なうことがいいと思っているんです。」

憎悪に反対,理解を促進しようというRaedの哲学は,2004年3月29日のウェブログの記事に最もよく要約されていると言えよう。この記事で彼は,国民を「お互いに憎ま」せようとして政府のしていることを,次のように書いている。

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あなたの敵は、あらかじめ決められたようにカテゴライズできる。例えばシオニスト、バース党、共産主義者、帝国主義者、テロリスト、イスラム主義者……敵はこれらの小さな箱に閉じ込めなければならない。箱は防音工事済み。だから彼の有害なイデオロギーを聞くことは決してない。

本当の問題は、僕たちの政府がやり方を変えるのかどうかではない。
本当の問題は、僕たち自身のことだ。僕たちが彼らの作り話を買うのかどうか? 僕たちはこの憎悪の海に引きずりこまれるのか? 僕たちの文化の間にまた新たな壁を築くのか?

違ったように考えることはあなたの権利だし、僕の権利でもある。
平穏無事に生きることは、僕たちの権利だ。

Raed in the middleの日本語化ログより
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記事を執筆したWendy Univerは,AFSCの Iraq Aftermath: The Human Face of War コーナーの編集長。

 
2004年10月19日(火)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/

Tuesday, October 19, 2004

ちょうど今,「デモクラシー・ナウ!」を聞いています。エイミー・グッドマンの番組で,ゲストはイラクで従軍していた剛毅木訥にして大胆不敵な(bald/bold)人。「オペレーション・トゥルース(真実作戦)」というグループの人です。彼の話では,イラクで負傷した米兵の数はだいたい7700だとか!! 1100人の兵士が死亡しているのに負傷者数については話に出なかった,その数字が出たわけです。(ほかのサイトでも同じような数字が出ています。)

それから,友人のジョー・ワイルディングが英兵に向けての公開レターを書いています。

ファルージャに暮らすイラクの普通の人々に対して確実に犯されることになる残虐行為の共犯者にはならないで下さい。事態を悪化させるだけの出鱈目な攻撃のために、自分の身をさらなる危険にさらさないで下さい。

# 日本語訳は益岡賢さん


昨日ロンドンでは数万人が戦争反対を訴えて行進しました。
いつものように,彼らの声に耳を傾ける人は誰もいないでしょう。けれども沈黙し続けているよりはましです。

アルンダティ・ロイを。「デモクラシー」は今でもまだデモクラティックなのか?

バスラにいる英国人が,有名な19人の米兵のように行動する可能性はあるのでしょうか?
あるかも。

Posted by: Raed Jarrar / 3:07 PM
*translated by: nofrills, 20 October 2004

訳注:
「デモクラシー・ナウ!」は米国のインディペンデント・ラジオ。ウェブサイトはhttp://www.democracynow.org/。番組はネットでも聞けます。エイミー・グッドマンは米国のジャーナリストで「デモクラシー・ナウ!」の主担当者。書籍『ファルージャ 2004年4月』にまとめた9つの文章のうちのひとつ,ラフール・マハジャンへのインタビューを行なった人でもあります。Raedさんが聞いていた元米兵へのインタビューのスクリプトは,「デモクラシー・ナウ!」のサイトに上がっています⇒こちら

米兵の死者数は,19日国防総省の発表によると,厳密には1086人のようです。(←この数字のソースは,さくっと見つかったところで,イランの日本語ラジオIRIBです。)

17日(英国時間)のロンドンのデモの参加者は,警察発表では「1万5000人」主催者発表では「5万人」。Raedさんの原文はthousandsという表現ですが,「数千」より「数万」の方が実状にかなっていると判断されたため,「数万」の訳語を選択しました。Raedさんがリンクしてくれているサンディエゴのメディアの記事の最後の方に,このデモに参加した米国人の言葉があります。「アンチ・ブッシュであって,アンチ・アメリカンではないということはわかっているのですが,ブッシュが私たちの国を代表しているということを考えるとげんなりします(I know it's anti-Bush and not anti-American, but it kills me that he represents our nation so poorly, that he speaks for us as Americans.)」

Raedさんがリンクしているアルンダティ・ロイの記事は,今年9月にシアトルで行なわれた,デイヴィッド・バーサミアン(バルサミアン)とのトークについて書かれたもの。この中でロイは,I think one of the dangers that we face is that it all becomes about personality and we forget that the system is in place and it doesn't matter all that much who's piloting the machine.(いろいろなことがパーソナリティの問題になってしまっていて,そこにシステムがあること,機械を運転するのが誰かということは実はそんなに重要ではないことを忘れてしまっている,それが私たちの直面している危険のひとつなのだと思います)と述べ,米大統領選について「ケリーかブッシュかを選べと言われても,それはまるで洗剤を選ぶことのよう。どちらを選んだにしてもメーカーは同じ」と語っています。

さらに,米国でも欧州でも何百万という人々がイラク戦争反対を訴えたにも関わらず,米国と連合国は戦争を行なったことは,デモクラシーの原則と矛盾しており,「デモクラシーは今でもまだデモクラティックなのだろうか」との問いを発さざるを得ない,と述べています。「政府は政府を選挙で選んだ人々に対してアカウンタブルであるのか? 選挙民は自身の政府の行動について責任ある立場なのか?」ロイは,こういったことが現在のデモクラシーの抱える深刻な問題であると述べています。

ロイの対談相手,デイヴィッド・バーサミアンについては,中野真紀子さんのサイトをご参照のほど。バーサミアンによるエドワード・サイードへのインタビューは,『ペンと剣』として刊行されています。

「有名な19人の米兵」とは,「自殺行為だとして任務を拒否」した米兵たちのことです。詳細はこことかで。

Tuesday, October 19, 2004
 
2004年10月18日(月)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/

Monday, October 18, 2004

昨日,友達がこんな「ジョーク」をメールしてくれました。

ペンタゴンは当初,イラク戦争を「オペレーション・イラク・リベレーション(Operation Iraqi Liberation)」と呼ぶつもりだったが,頭文字をつなぐとOILになることに気付いてやめた。そして,「オペレーション・イラク・フリーダム(Operation Iraqi Freedom)」と改められた。
【訳注:リンク先は,シンガーソングライターのDavid Rovicsさんの2003年の曲紹介ページ】

っつーわけで,頭文字がOOPS(しまった)とか,OH.MY.GOODNESS(ああどうしよう)とかになる名前を考え中。

*****************************************

BBCにアホな告知が出てました。英語でなんですがね,アフガニスタンの新しい携帯電話会社についてのものらしいんですが。

一体誰がこれを見るっていうんでしょうか?

英語が理解できないアフガンの人たち,自分たちの言葉も読み書きできない人たち,電気もテレビも衛星放送アンテナも,もちろん携帯電話もない人たちが?

それともアメリカ人の有権者が?

11月2日を過ぎたら突然,「解放された」女性たちの写真つきのアホな広告がなくなるでしょう。

************************************************* :*)

Posted by: Raed Jarrar / 5:35 PM
*translated by: nofrills, 19 October 2004

 
2004年10月17日(日)の記事
http://raedinthemiddle.blogspot.com/

Sunday, October 17, 2004

というわけで,先週とある優しい女性が電話をくれて,1時間以上も話をしました。その女性が所属する組織のウェブサイトに,その人が書いてくれた長ったらしいばっかりのライードのスピーチが掲載されています。非常に長いインタビューです。ご注意。【⇒日本語にしました(10月20日)】

*********************

うううーーーん・・・
どーしよっかなぁ・・・
数十通のヘイトメールを受け取ってきてますが,中には非常にユニークなものもあるのですが,どれをここに掲載すべきか,迷ってしまって。

でもね,書籍で出版することは真剣に検討してます。興味がおありの出版社さんはご連絡ください。
:*)
冗談ですよ。。。

昨日アメリカの友人からもらったメールの一部だけ,投稿しておきます。彼女はイラクで仕事をしている兵士から次のようなメールを受け取ったのだそうです。

> チャリティの仕事でまた別の問題が出てきた。
> 私自身が所属する指揮系統が私に自由を許すやいなや,
> 非常に上部の指揮により,
> 私たちは車両類の近くに子供たちをいさせてはならないと言われた。
> イラクのメディアは,私たちが子供たちを盾として使っていると言っている。
> こういった交流は,もう許されなくなった。

よかったです。

イラクのような戦闘地域において,子供たちに戦車の近くに来させるなんてことは,卑劣で無責任なことだ。こんな交流が起こるのを許しておくことをやめることにしたのは,よい進展。兵士の顔にスマイリー・マークをくっつけておく日々は,もう終わったんだ。
そうでしょ?

この戦争は,自由の戦争でも大量破壊兵器の戦争でもなかった,そんなことはみんな知っていたでしょう?
ま,ブッシュとその政府以外のみんなは,ですが。

今週はいろいろと興味深いことが起こりました。アンマンではラマダーンはそれはもう静かなものです。イラクとはまったく違います。米軍は,今回はお菓子なしで,20の――そうです,20の都市や町を,再び解放する計画を立てている。これらの都市が,えーーと,非開放されてる(?)のに,誰も耳にしてないのは,一体どういうことなんだろう。それどころか,米軍がまたもや解放の戦争を始めるということを,僕たちはこういうふうにして知る。
彼らは今度はこれを何と呼ぶんだろう?
イラク人に対する戦争?
まさかまさか・・・

ブッシュ:担当者はどこだ,軍事攻撃に名前をつける担当者はどこだ?
ラミィ(ラム爺):休暇中です。コンディを呼びましょうか? 切れ者ですから・・・
ブッシュ:ま,いいだろう。
*後に*
コンディ:お呼びでしょうか!
ブッシュ:ラミィくんがね,君ならいい名前を考えてくれるんじゃないかってね,君の新しい,対あのうんとえっとその,テロ戦争の。
コンディ:わかりました。そうですねぇ,「不可能な任務(ミッション・インポッシブル)」はいかがでしょうか。
ブッシュ:ダーメダメ。シャレにならん。
コンディ:では・・・そうですねぇ,「再自由作戦(オペレーション・リ=フリーダム)」は?
ブッシュとラム爺:ダ~メ,ダメーーー。
シュワルツェネガー(電話で):ターミネーターです,閣下,「アイ・ウィル・ビー・バック」では。
ブッシュとラム爺とコンディ:ダ~~メ,ダメーー,まったくダメダメ~~~。
*さらに後*
ブッシュ:これはどうだ,「ミッション,シーア派支援」っての。
コンディ:しかし,我々は現在シーア派と戦っているのでありまして。
ブッシュ:そうか・・・じゃ,これは?「ミッション:バース党壊滅」。
コンディ:しかし,バース党は今や我々の仲間でして。
*さらにさらに後*
ブッシュ:ユリイカ! ユリイカ!(わかった!)
コンディ(あくびをしながら):はい?
ブッシュ:「イラク・フリーダム2,お菓子バラマキ作戦」だ。
ブッシュとラム爺とコンディとシュワちゃん:それだーーーーーーっ!お菓子!キャンディ!それよそれそれ!

お菓子バラマキ作戦で興味深い点は,イラクには米軍が充分にはいないということで,だからこそブッシュ政権は英国に対して,英軍の8パーセントをバスラからバグダードまではるばる呼び寄せたがっている。これまではなかった動き。

*********************************** :*)

Posted by: Raed Jarrar / 3:31 PM
*translated by: nofrills, 18 October 2004


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