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Raed in the Japanese Language; originally Raed in the Middle
Monday, July 18, 2005
 
【日本語化担当者より】

新アドレスとの二重投稿:

Raedのウェブログを見ている人にはきっと,日本語化担当の私がさぼっているように見えているかもしれないけれど,実は一種の現実逃避です。ここしばらく仕事も立て込んでいるのですが,マーラ・ルジカの件で完全にメンタルのキャパ超えたって感じ。彼のウェブログを読んでも日本語になりません。かろうじて日本語にしても,アップロードできる質になっているとは思えない。すみません。しばらくしたら日本語化の作業を再開します。

さて,Raedの弟のKhalidが,先日,ムハバラト(イラク政府の情報機関)に連行されました。状況は私にはまったくわかりません。理由も私にはわかりません。彼はバグダード市内の大学に通っていますが,大学から連行されたそうです。アンマンからバグダードに戻って数日後に。私は何をしたらよいのでしょう。何もできません。祈るよりほかには。すぐにでも,Khalidといつもの他愛もないメールのやり取りができるようになることを祈るよりほかには。

Khalidは,家族がみなアンマンにいて不在だった家に,泥棒が入ったとのことで,お父さんが仕事でバグダードに物資を送る際に物資を運ぶ車に乗ってバグダードに戻りました。家の中は荒らされ,パソコンのパーツは盗まれ(筐体やモニタは置いてあったそうです),泥棒が鉄のドアに空けた穴から砂嵐が家に入って家の中はひどいありさまで,お父さんとKhalidで片付けるのに2時間かかって,さらに,泥棒は近所のケバブ屋から買ってきたケバブの食い残しをリヴィングに残していったというドタバタめいた記述と,ヨルダンからイラクに入るときの国境の様子(これがまたおもしろいんだけどね)とが,7月10日付のKhalidのウェブログに上がっています

その後,大学から行方不明になり,数日して拘置所からお父さんに本人からの電話連絡が行ったとのこと。

Raedは「ムハバラトでよかった」ということを書いていますが,これはあまりにきつすぎて私のキャパを完全に超えています……各種の組織/集団のこととか,バドル旅団のこととか,頭ではわかってたつもりなのですが。

私が何もできない間に,RiverbendのウェブログBaghdad Burningを日本語にしている「リバーベンド・プロジェクト」の方が,バグダード・バーニング日本語版の7月15日記事で,関連するRaed blogの記事を日本語にしてくださいました。深く感謝し,引用させていただきます。

7月12日
 今日、家族の一人がバグダードで行方不明になった。生きていますように・・・

7月13日
 まだ、見つからない。家族全員と友人たちで、バグダード中の病院、遺体安置所を探している。全市のイラク警察署、イラク軍拘置所、イラク特殊部隊拘置所、イラク私兵集団の拘置所、米軍拘置所と刑務所を尋ね歩いている。彼が拘束されていたとしても、通常2週間は何の情報も提供されないと言われた。 ここで、彼の名前を明らかにしていないのは、もし(非政府系の)集団のしわざだった場合を考えて安全に配慮したためである。

7月14日
 さいわい、政府の連中のしわざだった。
 朝7時、母がうれしさいっぱいの大声で私を起こした。「ハリドは無事よ」。家族の中で、ニキとぼくだけがまだこの「うれしい知らせ」を知らなかったのだ。ハリドがムハバラート拘置所から父に電話してきて、生きていることを伝えたのだった。ハリドは大学でムハバラートに拘束され連行されたと言ったという。父から母とマジェドへ、そしてぼくたちへと知らせが伝えられた。 ぼくたち家族の喜びようたっら、まるで宝くじにあたったみたいと、人は思うだろう。母なんて午前中いっぱい、ハリドの行く末をあれこれ、結婚式をどうするかまで計画して過ごしたくらいだ。 地球上のどこかほかのところでは、子どもや家族の一員が2日前に行方がわからなくなって、秘密警察から電話があったとしたら――とんでもない災難、人権の侵害と受け止められるだろう。
 ところが、イラクでは、うれしい知らせなんだ。
  これ以外の場合、どんなことが考えられるか。SCIRI(イラク・イスラム革命最高評議会)とバドル旅団によって、拷問され処刑されてゴミ捨て場に捨てられる、イラク警察に捕まり車の中に置き去りにされて窒息死する、米軍に捕まり行方不明になって、何ヵ月もどこかの米軍拘置所で虐待される、無数にある犯罪集団の一つに誘拐されて、家族から数千万ディナールを奪われるか、命を奪われる。
  これで、どうしてムハバラートに拘束されているのがいい知らせなのか、わかったでしょ?
  父によれば、ハリドは自分の書いたものかブログのことを何か言っていたという。ぼくたちのブログがハリド誘拐の理由かどうかはわからないけれど、あり得るかもわからない。もしそうならぼくたちは、ぼくたちの政治的理想――反暴力、反占領、対話支持、言論の自由支持などわれわれ家族がいつの世にあってももち続けてきた信念すべてのために闘う。
  目下の目標は、ムハバラートに法廷でハリドの容疑は何か(もしそんなものがあるなら)明らかにさせることだ。


どのくらいの効力があるのかはわかりませんが,Petition onlineにFree Khalid Jarrar Now!!!が立ち上がっています(Deputy Chief of Mission Embassy of Iraq (in the US)宛て,Roey Rosenblithさんが発起人)。名前(ハンドル可)とメールアドレス(非公開)と国名(非公開),郵便番号(非公開)だけで署名できます。在米イラク大使館にメールをしても戻ってきてしまうとのことで立ち上げられたpetitionのようです。

また,Give us our Khalid Backというサイト(ウェブログ)も立ち上がっています。ここはLiminalAunt Najmaが書いてます。それ以上のことはわかりません。

この件,ようやく,「書く」ことができました。

なお,私の個人ウェブログであるtoday's_news_from_uk+は更新しています。


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