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Raed in the Japanese Language; originally Raed in the Middle
Saturday, October 16, 2004
 
米国のオンライン・マガジン,OpenDemocracyで,今年7月から続いている連載,My America: Letters to Americans,第12回目(10月11日アップロード)に,Faiza al-Arajiさん(エンジニア/バグダード・ブロガー/女性団体メンバー/Raedさん, Khalidさん, Majidさんのお母さん)が登場しています。Raedさんのウェブログがお休み中なので,これの日本語訳をポストしておきます。

※以下は,teanotwar.blogtribe.orgとのダブルポストです。

America through an Iraqi lens
Anthony Swofford ⇒the Guardian記事(2003年4月8日)
Faiza al-Araji ⇒ウェブログ
2004年10月11日
http://www.opendemocracy.net/debates/article.jsp?id=3&debateId=115&articleId=2147

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アメリカ人とイラク人とのギャップはどのくらい大きいのだろうか? 「アメリカ人への手紙」第12回目となる今回は,イラク人ブロガーで3人の息子の母親であるFaiza Al-Arajiさんと,元海兵隊員で1991年の湾岸戦争の回想録,Jarheadを書いたAnthony Swoffordさんのやり取りを。
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アンソニー・スウォフォード様

まず初めに,あなたに敬意を表します。あなたが,米海兵隊のスナイバーから,思考し,深く考え,意義ある方法で自身の考えを見直す文筆家へと変化なさったことに対して。

スナイパー? 訓練を受けて19歳でプロフェッショナルなスナイパーになった方に,どのような人生がありうるのでしょうか? こんなに若い人が,プロの殺し屋となるべく訓練を受けるなんて! そのような職業につくことは,その人の精神を凍らせ,思考を停止させなければ無理です。自分の目の前にいる人物もまた人間なのだということを考えずに――名前も職業も,そして愛する家族もある人間なのだということを考えずに,引きがねを引くことができなければ,無理です。

けれども,あなたがなった文筆家という職業は,人を愛し,その人が生きるに値する生命なのであると賞賛することを意味します。何という違いでしょうか!

残念ながら,あなたのご著書のJarheadを私は手に入れることができていません。しかし,ネットでインタビュー記事は拝読しております。お見受けしたところ,あなたは,勉強して仕事を探して結婚するという普通の生き方をしたくなかったのですね。あなたは知らない体験を求めて海兵隊に入隊なさった――人生における実験として,あるいはそれに対処するために。

私もまったく同じことをしてきました。私はバグダード大学で工学を学び,1976年に卒業しました。卒業時に私は婚約しており,2つの世界の1つを選ばなければなりませんでした。友人たちや親戚たちのように,普通の結婚生活を選ぶか,あるいは,レバノンにボランティアとして行くことを選ぶか,でした。当時レバノンでは内戦があり,その被害者はレバノンやパレスチナの民間人たちでした。

あれこれ忠告は与えられましたが,パレスチナ人である私の夫と,イラク人である私は,レバノンに行くことを選びました。

どうして? 私の知っている人はみな,私にそう訊きました。けれども私は,こうすることは正しいのだと確信していました。家族には言いませんでした。言えば止められるとわかっていましたから。家族には,エンジニアリングの会社で働くためにバスラ【イラク南部の都市】に行くのだと言いました。家族にさよならを言ったとき,私の心は千々に乱れていました。嘘をついたからです。しかし,自分で経験したいという私の願いは,私の弱い感情よりも強かったのです。

私たちはベイルートの南にあるキリスト教徒の地区,アル=ダムール(al-Damour)に派遣されました。その地区は破壊され,人がいなくなっていました。家々からは品物が略奪されていました。私たちはまず,その地区を再生するための技師の委員会を立ち上げました。現在,この地区には,パレスチナの難民キャンプの爆撃と破壊をを生き延びた人々が,暮らしています。

私たちは家屋を修復し,すべての家に水が行くように,水のパイプラインを修繕しました。それから,電気が再びつながるように作業をし,明かりが戻ってきました。学校や幼稚園,裁縫工場,医療センター,パン屋を建設する手助けをしました。数ヶ月の作業ののち,地区には生活と活気と商店が戻ってきました。もう私たちがいる必要はないと確信し,私たちはそこを後にしました。

戦争で闘うためにイラクに来たアメリカの兵隊の方々から,ここでの彼らの仕事の明るい面を私に伝えようとするメールをいただくと,私はこの経験のことを思い出します。先日も,匿名の米軍の女性兵士からメールをいただきました。彼女の部隊が,都市化されていないエリアの子供たちのために学校で使う用具の入ったバッグを配るキャンペーンをしていること,彼女はお友達に,鉛筆や消しゴム,鉛筆削りや定規を25人分買ってほしいと頼んでいることが綴られていました。この女性兵士の方は,部隊の車列が村々を通りすぎるときに嬉しく感じるのだ,と書いています。裸足の子供たちにキャンディーを投げ,子供たちが嬉しそうな顔をするのを見るのだ,と。お友達には,部隊はここでよい仕事をしていると書き送っている,と。

この女性はどうしてこう考えるのでしょう? 彼女の政府がこれらの村を爆撃し,男や女や子供たちを殺しているのです。そうしておいて彼女がやって来て,キャンディーをばら撒いて彼女の,そしてアメリカの良心の痛みを減じる。もしも私がこの女性兵士の立場であれば,きっとこう考えるでしょう――これらの子供たちを幸せにするためには,上下水道や電気を修復しなければならない,と。学校設備を元通りに戻さなければならない,と。軍用車両に乗って通りすぎながらキャンディーをばらまいたって,子供たちの未来が明るくなることはないのです。

イラク人とアメリカ人のギャップは,どのくらい大きいのでしょう? 私にとっては,この戦争のもたらした利点のひとつは,アメリカ人をここに来させたことです。私たちはかつて,アメリカ人を映画を通して想像していました。欠点のない超人として。けれどもこの戦争は,アメリカ人はごくごく普通の人たち,私たちと同じ普通の人たちなのだということを明らかにしました。優しく穏やかで礼儀正しくもなりうるし,凶暴で攻撃的で残虐にもなりうる。知性と機知にあふれる例もあれば,無知であることも,可もなく不可もなくという状態であることもある。

けれども,ここでの私自身の経験では,アメリカの兵隊たちがイラク人に対して立派な態度を示した,という例は,自分でも経験したこともなく,人から聞いたこともないのです。うそではありません。残念です。私は思いやりの気持ちを持った優しい兵士に会いたいとずっと思ってきました。もし会っていれば,その人について誉める言葉を書いていたでしょう。でも,これまでにそういう経験は,ないのです。

路上の検問所で,アメリカの兵隊たちは,私たち全員をみな同じように乱暴に扱います。感情は一切示さずに。彼らが私たちに対して人間の顔を見せることはありません。ある晩,私はある兵士に止められました。私の車を捜索するので,次の通りまで行って行列に並んで待っていろ,ということでした。私はその兵士に,今,ここで捜索してくださいと頼みました。遅くまで仕事をしていたので,暗くなっていました。女性なのですから,例外扱いはしてもらえないでしょうか,と頼みました。けれどもその兵士は乱暴に「知るか」と言いました。

指示された場所に行って,行列に並びました。後になってその兵士は私のところに来て,申し訳ないが,命令だから,と言いました。私は,その兵士の内面には思いやりの気持ちのある人間がいるのに,この人は私に「彼の内面」を見せまいとしているのだ,と感じました。これがアメリカの兵隊に与えられた命令のようですね。イラク人に対しては人間性も感情も使うな,というのが。故郷に戻ればこの兵士たちも感情に満ちたすばらしい人たちなのでしょう,家族や奥さんや子供たちへの愛を忘れることのない人たちなのでしょう。けれども,彼らはその一部なりともイラク人には与えようとしない。これが,私たちが毎日見ていることなのです。

大きな疑問が残ります。そもそもこの戦争の理由というのは,いくつかありましたが,どのくらい本当だったのでしょうか? 本当にイラク人の福祉や未来のためだったのでしょうか? それともアメリカ政府の現実的,政治的な利益のためだったのでしょうか? これらの疑問は連関しています……回答されねばならない疑問です。


どのくらいが本当だったのでしょうか?
どのくらいが虚偽だったのでしょうか?
私にはわかりません。

アメリカのみなさんにはわかっておいでなのかもしれません。
敬具

ファイザ・アル=アラジ
Faiza Al-Araji

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ファイザ・アル=アラジ様

私が国に仕えたこと【service to my country:軍隊にいたこと】についてのお言葉をいただき,ありがとうございます。けれど私は,現在イラクで生命を危険にさらしている私たち両方の国の人々のために,敬意の言葉は取っておきたいと思います。私はもはや兵士ではありませんので。

私がスナイパーから文筆家になったことは,お考えになるほど唐突なものではありません。すべての文明において,これまでずっと,戦争の恐怖と悪行をはっきりと記すために,剣を置いてペンを取った人々がいました。一方で,人間/男の中の善きもの,偉大なるものの祝祭として戦争を描こうとする人々もいます。ですが,あなたや私はそのようなことはしません。

あなたのおっしゃることは正しいです――トラックから子供たちに向かってキャンディーを投げてみても,何ら先につながりはしません。実際,人を見下した,非人間的なことです。もし私の子供がイラクにいたら,破壊されたインフラを約束通りに元の状態に戻す作業が終わるまでは,占領軍からは贈り物を受け取らないように,と言うでしょう。

レバノンのアル=ダムールでのあなたの体験は,迅速な再建は可能であるという証拠です。むろん,これには当事者すべての協力が欠かせませんが。

あなたが米兵たちと接した経験が,おしなべて不快なものであったことは残念です。彼らのほとんどは非常に若く,しかも生命の危険を感じています。現在,彼らの多くが自分たちの任務にも,イラク侵略の背後にあったそもそもの理由についても,疑問を抱くようになっています。兵士たちのほとんどは,イラクの危険な通りや路地をパトロールして回るよりも,アメリカにいたいと思っている,これは間違いありません。そうです,そもそも彼らが侵略などしなければ,このような危険の中で生きることもなかったでしょう。

あなたのお便りでは,反乱(the insurgency)についての言及がありませんでした。私には非常に穏やかでリベラルな友人たちがいます。彼らは,もしアメリカに対して他国に武力でその意思を押し付けてきたら,自分たちも武器を集めて闘うだろう,と言います。こんなことを書いてみても,現在のイラクの問題を本当に解決するわけではないのですが,それでもこのことは,反乱はポピュリスト的で理想主義的であり,エリート主義的ではない,中央の権力から発生するわけではない,という事実を示しています。私が恐れているのは,イラクの場合もこの通りであるということで,かつて米軍がイラクの住宅街で示していたような善意というものはすべて,消えうせてしまっているということです。米軍サイドでの計画のひどさと,イラク人の一部のサイドでの非協力とが原因で,あなたの国は射撃練習場になってしまっているのではないか,と私は思うのです。イラク人もまた自分たちの国の状態について責任を持たなければなりません。

この18ヶ月のイラクのことは,つかみそこねた機会と失敗した外交のひとつです。最大の間違いは,イラク軍を解体したことでした。軍に属していた若い人々は再編され,新たなユニフォームを与えられ,新たな訓練を受け,充分な給料を支払われるべきでした。もしそうなっていたならば,今ごろは反乱などなかったのではないかと,私は思います。

またイラク人は近隣を見て,イラクの再建に真剣に取り組んでいないことについて,真面目に問うべきです。強いイラクは,自国民に最低限の人権をも許していない近隣の指導者にとっては問題となるかもしれません。イラクは中東の宝石と呼ばれていましたよね? あなたの国がそのすばらしさを取り戻すことを,私は確信しています。

私はイラク侵略には反対していました。今でもそうです。しかし,既に終わってしまった行為について反対し続けることは難しい。今,私たちがしなければならないのは,安定の雰囲気を作ることです。イラクの人々が主導して,アメリカは近代国家を作ることをアシストしなければならない。提示されている民主主義は完璧ではないかもしれないけれども,代表者による統治ということのモデルとなることは事実です。そして,代表者による統治は,専制者の統治よりも,魅力あるものであるはずです。

この紛争におけるあらゆる当事者の側の死は,不幸なことであり,腹立たしいことです。アーカンサスの母親たちの流す涙は,ファルージャの母親たちの流す涙と同じです。イラク人とアメリカ人の間のギャップは,案外小さいのではないかと私は思います。ここアメリカでは,人々は家族を育て,自身や子供たちを教育し,友人や愛する人たちとレジャーを楽しむために,一所懸命に働いています。イラクの人々も同じ生活をしているということには疑問の余地はありません。優れた精神分析医たちが述べたように,愛と労働と遊びとは,幸福のために必要不可欠なことです。

あなたの後を追い,攻撃的な行動について謝罪をした兵士,彼はアメリカの顔です。良心あるアメリカ人は,アメリカ政府の攻撃的な行動について謝罪をします。良心あるアメリカ人は,この戦争はでっちあげられた口実によるものだと認識しています。良心あるアメリカ人は,この紛争の迅速で平和的な解決を求めています。それは,あなたやあなたの国のみなさんと同じです。

あなたは私に対して,イラクのことをはっきりと書いてくださった。感謝します。この文通を続けたいと思っています。

敬具
アンソニー・スウォフォード
Anthony Swofford

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【原文末尾にある注意書き】
「アメリカ人への手紙」のプロジェクトは,2004年11月2日の米大統領選挙まで続きます。このようなプロジェクトはまとめるのが難しく,実行するのに費用がかかります。ですが,私たちは,アメリカに世界との対話をさせることはやる価値があると思っています。もしそうお思いでしたら,どうか私たちをサポートしてください。


OpenDemocracyのフォーラムに,いくつかフィードバック(感想)が寄せられています

なお,以上は,主観を交えずに日本語にしたつもりですが,私の頭の中にあるものではどうしてもそのままなぞれないことがあった部分もあり,一部は,私の自覚しないままに主観のまざった日本語になっているかもしれません。その場合はteanotwar.blogtribe.orgの記事のコメント欄でご指摘いただけますと幸いです。


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